AD BOAT PROJECT / 03

活動地域:岩手県釜石市・盛岡市

インタビュー:菅原 誠 / 佐々木洋裕(すがわらまこと / ささきひろやす)/アドボートジャパン

企業ロゴを船体全面に貼った「復興支援船」。
企業やブランド・団体からの支援金を船の購入資金の援助にあて、その企業ロゴをまるでF1レースカーのように船体にレイアウト。
支援をする側に対して「みなさんのお金でこのような漁船を購入できました」と明確に表現できる、被災地のためでもあり支援する側も納得できるプロジェクト。現在作成中のオフィシャルWEBサイトでは、支援先と支援する側のコミュニケーション手段を用意し、被災地の復興を共に実感することができる。この先何年、何十年も続く"継続的な復興"を目指したビジネスの提案である。

漁港に浮かんだ
18隻の復興支援船

2012年7月7日、釜石市にある小石浜漁港には大漁旗がたなびき、真っ白な船体にブランドロゴが刻まれた「AD BOAT PROJECT」の復興支援船が幾隻も浮かぶ。この日は「AD BOAT PROJECT」に共感し、スポンサーとなったブランドや企業の人々、そしてAD BOATに乗る漁師たちが一同に会するパーティーが行われていた。支援者のなかには、完成したAD BOATを見るのも東北を訪れるのも初めてという人の姿も。支援が目の前にかたちになって現れ、その船に乗って穫れた海産物を囲みながら漁師たちと支援者たちの会話も弾む。プロジェクトがスタートしてから1年あまり、AD BOAT JAPAN合同会社の代表・菅原さんはパーティー会場でこう語ってくれた。

「今ようやく18隻のAD BOATが海に浮かびました。本当に支援者の方、漁師さん、スタッフ、みなさんの力でできたことです。こうして支援者の方々が漁師さんと会話をして、さらに船が浮かんでいる現場を見に来るというのは、写真や文章では伝わらないものを感じることができます。そこではじめて支援者の方々が新たなことに気づき、それをまだ世界中の人たちに伝えていく。そのことがすごく大事だと思いますし、3.11をもう一度思い起こすという意味ですばらしいパーティーになったと感じています」

震災から1年4ヵ月が経過しても、まだ漁師たちの生活や仕事は震災以前のような状態ではなく、現在も100人以上の漁師たちがAD BOATを待っている。いまだ整備されていない道路や沿岸部の光景をその目で見て、地元の人たちの話を聞き、「何か自分にできることはないだろうか?」と思わない人はいないだろう。AD BOAT PROJECTは、そうした人たちの想いをかたちにしてつないでいく。

「ファッション業界は人をカッコ良くしたり、かわいくしたり、そうしたパワーを持っています。それが漁師さんたちとコラボレーションすることで、こんなにカッコイイ船ができました。岩手県は80%以上が漁業で成り立っているところです。この船を見た子どもたちが『漁師ってカッコイイな』と思ってもらえること。それが私たちができる新しい支援なのではないかと思います。震災を機に、今すぐに何かかたちにすることはすごく難しいことだとみなさん感じたと思うんですよ。でも、ひとりひとりがそのかたちづくりを明日からやることで、10年後にはしっかりとしたかたちになります。ここから復興にはアイデアも必要です。みなさんにアイデアを提案していただきつつ、漁師さんとともに何か新しいことをやっていけたらと思います」

 ”見える支援”は、人と人をつなぎ、新しいアイデアや価値観を生み出すことを可能にする。数年後、ここで生まれたつながりを機に、漁師とブランドによるコラボレーションで三陸の海を盛り上げる新プロジェクトが生まれる可能性も秘めている。

他の地域でも「AD BOAT JAPAN」のモデルを
いかしてほしい

これまでにない新しい取り組みとして話題を集めているAD BOAT。その評判を聞き、漁師たちからの申込は後を絶たない。菅原さんとともにプロジェクトを運営してきた下山さんは、新たな課題があると話す。

「漁師さんたちは、非常に好感を持って接してくれていますし、この事業自体にも理解をしてくれています。別の港だと、漁協単位で30隻、40隻という申込をいただいたりするんですけど、ひとつひとつやっていくには人と時間が足りないというのが最大の悩みです。『AD BOAT JAPAN』を合同会社としてスタートしたというのはそこにあるんですけど、結局ボランティアだとその瞬間はいいかもしれませんが、2年、3年と長く続けようと思うと破綻しますよね。交通費など、諸々の運営費をもう少し増やして、被災地域での直接雇用などをして、現地で動く人間をどれだけ多く集められるかというところがこれからの課題だと思います」

岩手県沿岸部だけでも津波で9割の漁船が失われたが、宮城県、福島県でも同様に多くの漁船が被害を受けている。他県においても、「AD BOAT PROJECT」のモデルはいかせるはずだ。

「私たちは岩手県で活動していますが、宮城県や福島県でも同じ仕組みでやりたいというお話があれば、いくらでもやり方をお教えしますし、ぜひやっていただきたい。本当に時間も人も限られたなかで活動しているので、どうしても広がりが鈍くなりますから。『AD BOAT JAPAN』の名前でなくても、同じような取り組みを実行していただける方がどんどん増えていってほしいです」

18隻の船のなかには、佐々木洋裕さんの「漁裕丸」も浮かんでいた。佐々木さんの拠点である尾崎白浜港にも、すでに3隻の船が浮かんでいる。この日、多くの支援者と対面した佐々木さんはその喜びを語る。

「たくさんの支援をいただいて、こうして船が浮かんでいるんですけど、どういう人が支援してくださったのか全然わからなかったんですね。今回、はじめて顔を拝見してお話できたので、こういう機会はもっとつくってもらえたらと思います」

AD BOATの船はカラフルなロゴだけでなく、なかにはイタリア国旗カラーのドクロマークまでペイントされたものもあり、実に個性豊か。漁師さんたちにとって船は家族同様に大切なものだ。佐々木さん自身も最初は船をロゴなどでラッピングすることに抵抗があったと言うが、2011年10月末にAD BOAT第1号が完成してから1年9ヵ月、今では各船の”個性”を楽しむ余裕が生まれている。

「うちの船はオレンジ色で派手にペイントしたんですけど、最初は真っ白な船に色を塗ったりするのは多少ならずとも抵抗がありました。でも、いろんなデザインを考えてもらって、相談しながら進めていくうちに、あまり抵抗を感じなくなりましたね。今は素直に”船がカッコ良くなったなぁ”と思いますし、俺の船はこうだけど、あの人の船はこう、と新しい船を見るのが楽しみにもなっています」

「AD BOAT PROJECT」では企業だけでなく個人での支援も可能だ。ひと口2万1000円で参加すると、AD BOAT に乗る漁師たちから年1回海産物のギフトも贈られるシステム。何百という船が失われた港では、現在も多くの漁師たちが船を待っている。10年後、港にたくさんのAD BOAT が浮かぶ日まで「AD BOAT PROJECT」の活動は続いていくのだ。

「このプロジェクトは支援をしてくださる方が、自分の出したお金がどういう風に使われているのか完全に見えますし、私たちも感謝すべき相手がしっかり見えます。とても良いプロジェクトだと思うので、どんどん広めていきたいです。このプロジェクトを知ってくださった方々がひと言、ふた言でも良いので、いろんなところで広めていただきたいですね。支援してくださる方も、支援をいただく漁師もどんどん増えていけばいいなと思います」

(取材 2012年7月7日/岩手県大船渡市にて)

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ひと際目をひいたイタリア国旗カラーのドクロがペイントされたAD BOAT。

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大漁旗の前で記念撮影。AD BOAT PROJECTに関わる人々がひとつの場所に集い、ここからまた新たな広がりが生まれていく。

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