僕らの経験したことを
生き残るための“仕込み”として
必ず起こる災害に備える
食のプロだからこそ見える
事前防災への取り組み
震災直後、ひとりでこの店の厨房でおにぎりをつくるところから始まって、徐々に仲間が集まり、応援をしてくださる方のおかげで10万食以上の食事を届けることができました。当時は刻々と状況が変わっていたので、必ず朝晩避難所をまわり、食事を届けて「ほしいものはないですか? 困ったことはないですか?」と情報を集めていました。そして調理場を見せてもらって、調理場の規模、炊き出しの数、炊き出しをしている方の人数を確認して「手がまわらないだろう」と思ったところは手厚くサポートに入っていました。平等支援というのはダメなんです。大変なところを助けてあげないと。避難所の情報収集だけでも、ひとりふたりでまわっているとすごく時間がかかるんです。どれだけ支援をしたい人がいても、情報のキャッチボールができないと、まわりからサポートできない。今は僕らが経験した、苦労したことや大変だったことをきちんと伝えて、災害が起きる前に仕込んでおくことが大切だと思っています。震災は他人ごとではありません。今日、明日、もしかしたら何かあるかもしれない。生き残るためにどうしたらいいのか? 生き残ったらどうしたらいいのか? 最初から考えておく必要があるんです。残念ながら必ず天災は起こります。でも、それを最小限にとどめることはできるはずです。
食事に関しては、プロがいないとどうにもならないこともあると思うので、飲食店組合や調理師会といった組織が大きな釜を用意しておくとか、米を備蓄したり、使える調理場を確認しておく。いざとなったときに、すぐに行政と連携して動けるように普段からパイプをつくっておく。そして公民館にはプロパンと釜や水を用意しておく。こうやって最初から仕込んでおく必要があると思いながら時間が経過し、今に至ります。そして2016年4月14日熊本地震があり、もっとちゃんと自分たちの経験を残して防災関係の方、役所の方、みなさんに届けられていたら、地震はどうにもできないですけど、そのあとの処理はもう少しスムーズにできたのかもしれないと悔やんでいます。
地元の魅力を
お皿にのせて
活動を終えてからは、お店を再開して、嫁さんをもらって、子どもを3人授かりました。僕ができる原点は、料理を通して三陸の魅力や生産者の方の情熱を伝えることだとあらためて再確認しています。お客さまに「おいしい」と言っていただくことは嬉しいのですが、それは料理がおいしいのではなく、三陸がおいしいんです。僕は「素材をいかす」のではなく、「素材にいかされている」のがコックだと思っていますのでこれからも精一杯、地元の魅力をお皿にのせて伝えていきます。
2016年8月、食材を丁寧に仕込む山崎さん。
2011年7月、活動拠点のリアスホール(大船渡市民文化会館)にて。避難所では食事を届けるときの会話を楽しみにしていた人も。
(取材日:2016年8月)
photo:hana ozazwa
山﨑 純(やまざき・じゅん)
1966年岩手県大船渡市生まれ。「ポルコロッソ」オーナーシェフ。震災当時、幸いにもお店は浸水を免れたが電気・水道も止まり、料理などできない状況でロウソクの灯りを頼りに、おにぎりをつくりはじめる。ひとりでは60個のおにぎりを握るのが限界だったが、仲間たちが集まり、活動の輪が広がっていった。その活動は1日約2000食の食事を避難所に届けながら“ご用聞き”の役割も担っていた。