すべては子どもたちの笑顔のため
“ままのて”でつながるネットワーク
“お母さん”だからできたこと
震災から8日目の3月19日、塩竈市に住むお母さんたちのために、紙オムツや粉ミルクなどの物資情報、赤ちゃんの入浴サービス情報が掲載された『塩釜ママ情報掲示板』が立ち上がる。この掲示板を立ち上げたのは、塩竈市在住の鈴木千夏さん。それまでウェブサイトは”見る専門”だった彼女を一気に動かしたのは、守るべき”子ども”の存在だった。3.11、鈴木さんは7ヵ月の赤ちゃんと、5歳になる息子と自宅で地震にあう。津波警報を受け、紙オムツだけを持って小学校へと避難し、帰宅したのは10日後。しかし、帰宅しても紙オムツやミルクを購入できる店は営業しておらず、開店していても子どもを抱えて2〜3時間並ばなければならなかった。
「並んで買えるならまだいいんですけど、買えなかった場合、寒空の下で小さな子どもを連れてまた別のお店を探さなければいけません。”ここに紙オムツがあるよ”そういった情報があれば、お母さんたちは助かるんじゃないかと考えました。そこで、この状況を乗り越えるためにみんなで情報を共有できる掲示板を立ち上げたんです」
掲示板を立ち上げ、”これから何ができるだろうか?”と考えていた鈴木さん。ちょうどその頃、同じ思いを抱いて活動する”お母さん”と出会う。
「現在『ままのて』として一緒に活動している須藤さんも、3人の子どもを持つお母さんです。彼女は避難所にいる子どもたちの衛生状態が気になって、自宅にあったミルクや洗浄綿を集めて避難所のお母さんたちに配布していました。共通の知人を介して知り合ったとき、”塩竈できちんとした活動ができないか? ママたちの支援ができないか?”という話になり、『ままのて』をスタートさせました」
10日間以上も入浴できない状態が続き、オムツも満足に変えられない……。肌もかぶれ、寝付きも悪く、泣き出す子どもを前にして、いてもたってもいられなくなった『ままのて』が最初に取り組んだのは”赤ちゃんの入浴サービス”だった。水の出る地域で湧かしたお湯を衣装ケースに入れて運び、いつ・どこで行うかを掲示板で告知。その後も、友人・知人から届いた衣類やサプリメントを避難所で手渡しする活動を行っていた。やがて、その活動が役所の目にとまり、塩竈市に届いた物資の配布を依頼されるようになる。
「『ままのて』のメンバーは、みんな同じ思いを抱いて個人で活動していたんです。でも、例えば”入浴サービスをやります”というのをラジオで告知したいとき、”どこの団体ですか?”と聞かれます。そこで一個人だと取り合ってくれないんですね。個々に活動しながらも、『ままのて』の名前を活用することで活動が広がっていきました」
10年後も子どもたちが笑顔でいられるように
子どもたちを想う強い気持ちで結ばれた『ままのて』のお母さんたち。仮設住宅や地域の町に物資を届けるため、夜を徹して仕分け作業を行い、2ヵ月の間に7回の”配布会”を実施。徐々に店舗も再開してきたことから、現在『ままのて』は次の活動に向けて動き出している。
「私の知人は、旦那さんを亡くされて”今後どうやって生きていこうか”という状況にありました。どんなことができるかわからないのですが、”力になりたい”と思っています。でも、いくら力になりたいと思っても、同じ経験をしていない私たちができることは限られてきます。やはり、同じような経験をされた方とのお話のほうが、力になるし、勇気になると思います。今後は、心のなかに閉まった気持ちを少しずつ出せるような”場”をつくって、その手記を少しずつでもかたちにしていけたらと考えています。そうすることで、子どもたちが大きくなったとき”あのときこうだったんだよ”と伝えていけるようにしたいんです」
子どもたちの涙からはじまった『ままのて』の活動は、震災から4ヵ月を経て、子どもやそのお母さんたちを笑顔にしていく取り組みへと変わりつつあるのだ。
「子どもを持つお母さんたちの想いというのは、本当に強い。守るべきものが、すぐ近くにいますからね。そうしたお母さんたちの”強い想い”を大切にしながら、今後も活動を続けていければと常に考えています。そして、子どもたちが5年後、10年後も笑顔でいられるような社会をつくっていきたいです」
(取材日:2011年6月29日 宮城県塩竈市にて)
Photo : Reiji OHE