忘れてほしくないのは大変な状況であること
それぞれに”楽しもう”と動いていること。
「がんばっぺいわき」が地元の人たちをつないでいく
イラストレーター、デザイナーとしていわき市で活動するユアサミズキさん。クライアントの多くは地元の企業だが、2011年3月11日以降、ユアサさんを取り巻く状況は一変した。
「つとめていた会社を辞めて独立し、ちょうど1年というタイミングで地震があったんです。僕は地元のお客さんを相手にデザインをやっていたのですが、まだまだ大変な状況が続いている中で、デザインやイラストに関わる仕事はまだできていない状況です」
そんな中、ユアサさんが手がけたあるものが、大きな反響を呼んでいた。それは「がんばっぺいわき」のステッカー。都内でもいわき市でも、リアガラスにこのステッカーを貼っている車を何台も目にした。
「震災があって1週間ほど経ったとき、ツイッター上で”がんばっぺいわき”というキーワードがかなり出ていたんですね。そしたら、ひとりの友人が”ステッカーつくってみない?”と。誰がデザインできるのかっていうときに、僕が手をあげさせてもらって、つくることになりました」
制作当初、ステッカーを貼っていた多くの人はいわき市の人々。しかし、5月になると徐々に福島県外の人から問い合わせが多くなってくる。それは、”地元のために何かしたい”と強く想ういわき市出身の人たちだった。
「ステッカーをつくってから4ヵ月近く経ちますが、まだまだ続けていきたいと思っています。これからきっと、ニュースなどで取りあげられることが少なくなってきますが、現地ではまだ被災している状況が続いています。いわき市外の方に対しては、そういうことを忘れてほしくない。そんな想いで続けさせていただいています」
ステッカーが故郷を想う人たちの手に渡り、その想いをつないでいく。こうしたつながりの中で、ユアサさんの活動は思わぬ方向へと展開していくことになる。
「いろんな方とお話させていただくなかで、東京のイベント会社の方から『いわきの若手作家の作品を展示してみないか?』とお誘いをいただいたんです。そして、2011年6月に都内4ヵ所で展示販売を行ないました。それがきっかけで、やはりいわき市外の方にも作品を見ていただける機会を設けていきたいなと思うようになりましたし、そこで出会った方と一緒に何ができるのかということも考えていきたいです」
きっかけを与えてもらったことが
最大の支援
つくり手として、自分たちから何か発信できないか? ほかの地域に向けて、自分たちのまちをアピールできないか? そう考えたユアサさんは、地元で活動しているイラストレーターやデザイナーたちの作品を掲載したオンラインポートフォリオ『Creators Portfolio』を公開。このサイトは、「がんばっぺいわき」と「NO風評被害」をテーマに作品を通して地元を盛り上げようというメッセージを発するとともに、地元クライアントの多くが被災し、仕事を失ったイラストレーターやデザイナーが新たな仕事を生むきっかけを生み出す役割も担う。
「僕だけでなく、さまざまなつくり手の人がまちに賑わいを取り戻すために、積極的に動き始めています。こうやって動くことで、いろんな方に見てもらえる機会があったり、仕事につながるきっかけになったり。僕自身は、そのきっかけを与えていただいているということが、最大の支援をいただいているという感覚です」
2012年7月現在、オンラインポートフォリオ『Creators Portfolio』は『FUKUSHIMA CREATORs NOTE:WA-KARAMARI(通称:からまり)』へと発展。これは福島県にゆかりのあるクリエイターが作品のオンラインショップやSNS を通じて、県外/国内外へと活動をアピールするだけでなく、リアルな場でのグループ展なども視野にいれている。
そしてもうひとつ、震災前からユアサさんが取り組んでいる活動に『パークフェス』がある。これは4月から11月の間、月に1度いわき芸術文化交流館アリオス前の公園を会場とし、マーケットや音楽イベントを中心としたお祭りだが、震災と福島第一原子力発電所事故のあと、『パークフェス』は中止を余儀なくされる。その理由は、2011年5月の段階でいわき芸術文化交流館アリオスはまだ避難所となっており、公園内の放射線量に対する懸念からだった。しかし、イベントの中止が決定したあとも、2012年の再開に向けて実行委員会のメンバーたちは動き出す。会場となる公園内の線量を測ることからはじまり、議論を続け、2012年4月に『パークフェス』は復活。震災後、さまざまな支援イベントが行なわれたが、何度も継続して行なわれるものは少なかった。そのなかで、ユアサさんをはじめとする実行委員会のメンバーたちは、”憩いの場であり、再会の場をつくりたい”という想いで『パークフェス』を続けていく決意を固めたのだ。復活した『パークフェス』は、震災以前に行なっていたマーケットや音楽イベントに加え、自然エネルギーによる音響電源の供給、ダンスワークショップ、プチモーターショーなど、外部団体との連携も図りながら規模を拡大しつつある。
望まぬかたちで世界中に知れわたった「福島」という地名。ユアサさんは、ネガティブな言葉として伝わってしまったその名を、作品を通してポジティブな言葉に変えていきたいと考えている。
「おそらく、震災前は『福島』という地名すら知らない方も少なくなかったと思います。ネガティブな言葉になっているかもしれませんが、今を出発点としてもっと良くしていかないといけない。いわきに住んでいる人間として、その義務があると思っています。大変な状況であることは事実ですが、いわき市にも普通に人が住んでいますし、飲み屋さんに行けばお酒を飲んだりもします。必ずしも日常すべてがネガティブな状況ではありません。もちろん、大変な状況であることは忘れてほしくないですけど、みんながそれぞれに楽しみを見つけて、楽しもうとしている人たちがいることも覚えておいてほしいなと思います」
(取材日:2011年7月8日/福島県いわき市にて)
Photo : Jouji SUZUKI
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忘れてほしくないのは大変な状況であること
それぞれに”楽しもう”と動いていること。
「がんばっぺいわき」が地元の人たちをつないでいく
イラストレーター、デザイナーとしていわき市で活動するユアサミズキさん。クライアントの多くは地元の企業だが、2011年3月11日以降、ユアサさんを取り巻く状況は一変した。
「つとめていた会社を辞めて独立し、ちょうど1年というタイミングで地震があったんです。僕は地元のお客さんを相手にデザインをやっていたのですが、まだまだ大変な状況が続いている中で、デザインやイラストに関わる仕事はまだできていない状況です」
そんな中、ユアサさんが手がけたあるものが、大きな反響を呼んでいた。それは「がんばっぺいわき」のステッカー。都内でもいわき市でも、リアガラスにこのステッカーを貼っている車を何台も目にした。
「震災があって1週間ほど経ったとき、ツイッター上で”がんばっぺいわき”というキーワードがかなり出ていたんですね。そしたら、ひとりの友人が”ステッカーつくってみない?”と。誰がデザインできるのかっていうときに、僕が手をあげさせてもらって、つくることになりました」
制作当初、ステッカーを貼っていた多くの人はいわき市の人々。しかし、5月になると徐々に福島県外の人から問い合わせが多くなってくる。それは、”地元のために何かしたい”と強く想ういわき市出身の人たちだった。
「ステッカーをつくってから4ヵ月近く経ちますが、まだまだ続けていきたいと思っています。これからきっと、ニュースなどで取りあげられることが少なくなってきますが、現地ではまだ被災している状況が続いています。いわき市外の方に対しては、そういうことを忘れてほしくない。そんな想いで続けさせていただいています」
ステッカーが故郷を想う人たちの手に渡り、その想いをつないでいく。こうしたつながりの中で、ユアサさんの活動は思わぬ方向へと展開していくことになる。
「いろんな方とお話させていただくなかで、東京のイベント会社の方から『いわきの若手作家の作品を展示してみないか?』とお誘いをいただいたんです。そして、2011年6月に都内4ヵ所で展示販売を行ないました。それがきっかけで、やはりいわき市外の方にも作品を見ていただける機会を設けていきたいなと思うようになりましたし、そこで出会った方と一緒に何ができるのかということも考えていきたいです」
きっかけを与えてもらったことが
最大の支援
つくり手として、自分たちから何か発信できないか? ほかの地域に向けて、自分たちのまちをアピールできないか? そう考えたユアサさんは、地元で活動しているイラストレーターやデザイナーたちの作品を掲載したオンラインポートフォリオ『Creators Portfolio』を公開。このサイトは、「がんばっぺいわき」と「NO風評被害」をテーマに作品を通して地元を盛り上げようというメッセージを発するとともに、地元クライアントの多くが被災し、仕事を失ったイラストレーターやデザイナーが新たな仕事を生むきっかけを生み出す役割も担う。
「僕だけでなく、さまざまなつくり手の人がまちに賑わいを取り戻すために、積極的に動き始めています。こうやって動くことで、いろんな方に見てもらえる機会があったり、仕事につながるきっかけになったり。僕自身は、そのきっかけを与えていただいているということが、最大の支援をいただいているという感覚です」
2012年7月現在、オンラインポートフォリオ『Creators Portfolio』は『FUKUSHIMA CREATORs NOTE:WA-KARAMARI(通称:からまり)』へと発展。これは福島県にゆかりのあるクリエイターが作品のオンラインショップやSNS を通じて、県外/国内外へと活動をアピールするだけでなく、リアルな場でのグループ展なども視野にいれている。
そしてもうひとつ、震災前からユアサさんが取り組んでいる活動に『パークフェス』がある。これは4月から11月の間、月に1度いわき芸術文化交流館アリオス前の公園を会場とし、マーケットや音楽イベントを中心としたお祭りだが、震災と福島第一原子力発電所事故のあと、『パークフェス』は中止を余儀なくされる。その理由は、2011年5月の段階でいわき芸術文化交流館アリオスはまだ避難所となっており、公園内の放射線量に対する懸念からだった。しかし、イベントの中止が決定したあとも、2012年の再開に向けて実行委員会のメンバーたちは動き出す。会場となる公園内の線量を測ることからはじまり、議論を続け、2012年4月に『パークフェス』は復活。震災後、さまざまな支援イベントが行なわれたが、何度も継続して行なわれるものは少なかった。そのなかで、ユアサさんをはじめとする実行委員会のメンバーたちは、”憩いの場であり、再会の場をつくりたい”という想いで『パークフェス』を続けていく決意を固めたのだ。復活した『パークフェス』は、震災以前に行なっていたマーケットや音楽イベントに加え、自然エネルギーによる音響電源の供給、ダンスワークショップ、プチモーターショーなど、外部団体との連携も図りながら規模を拡大しつつある。
望まぬかたちで世界中に知れわたった「福島」という地名。ユアサさんは、ネガティブな言葉として伝わってしまったその名を、作品を通してポジティブな言葉に変えていきたいと考えている。
「おそらく、震災前は『福島』という地名すら知らない方も少なくなかったと思います。ネガティブな言葉になっているかもしれませんが、今を出発点としてもっと良くしていかないといけない。いわきに住んでいる人間として、その義務があると思っています。大変な状況であることは事実ですが、いわき市にも普通に人が住んでいますし、飲み屋さんに行けばお酒を飲んだりもします。必ずしも日常すべてがネガティブな状況ではありません。もちろん、大変な状況であることは忘れてほしくないですけど、みんながそれぞれに楽しみを見つけて、楽しもうとしている人たちがいることも覚えておいてほしいなと思います」
(取材日:2011年7月8日/福島県いわき市にて)
Photo : Jouji SUZUKI