ここで生きることの愛着や誇り、
人が持つエネルギーをアートの力で地域に還元する
この土地で当たり前に
やるべきことを
塩竈で「ビルドスペース」をオープンして今年で10年目になります。引き続き変わらず、ワークショップや作品発表を行っているのですが、2014年11月から塩竈市杉村惇美術館ができ、現在運営にも携わっています。美術館は昭和25年から公民館として市民活動をサポートしてきた場所をリノベーションして誕生しました。そこでこの町の歩みから建物にもう一度集積していくような活動を行っています。加えて、震災後から松島湾・東松島・利府・塩竈・多賀城・七里ヶ浜という松島湾に面した地域を舞台に、もう一度自分たちの土地の文化を再発掘する「つながる湾プロジェクト」を継続しています。
正直なところ、2011年から2013年の記憶が飛んでいて、本当に無意識にそのときできることを瞬時の判断で動いていたんだと思います。震災後はとくにニーズを聞き入れる、地域の声を聞くことに集中していました。その声に対して、アーティストの考え方やアイデアが合うかどうかのマッチングも非常に重要だったと思います。2013年頃に、自分のなかにあった“被災感”のようなものが拭われた瞬間があり、それは東京の三宅島に行った経験も大きかったのかもしれません。20年に一度噴火して被災地になるというところに、2000人の人々が住んでいて「こういう島国に生きているんだ」というのを考えさせられたときに、ハッとしました。まちの人たちにも変化は起きていて、復興の過程で外から多くの援助をいただいて、その援助が終わったことによって動きが止まってしまったり、活動そのものがなくなってしまうことも少なくなかった。そのなかでお店の方や若者、イベントを運営する方が、復興をアピールするのではなく「この土地で当たり前にやるべきこと、自分たちのまつりごとを続けていこう」という意識になってきているように思います。
考える余白を与え続ける
アートの視点を提供したい
「ビルドスペース」5年目で震災が起こりましたが、それまでの5年間で塩竈においてビルドの役割が明確だったので、支援の行き来や人のケアができたんです。小さいことですが、そういったことで個の役割が最大限生かされる機会は多いと思います。なので、“コトを築く”プロジェクトは当たり前にやっていくこと、習慣的にやっていくことが、緊急時には非常に役に立つのではないかと感じています。
震災からこの5年間に、アートプロジェクトを通して多様な考え方を許す寛容さというか、包容力のようなものがとても重要な視点だったように思います。それは正しい、正しくないではなく、考える余白を与え続けることができるのがアートであるということ。これからもそれは重要なことですし、「ビルドスペース」でも美術館でも、つながる湾プロジェクトでも提供し続けなければいけないと感じています。
2013年に松島町で行われた「ジョルジュ・ルース アートプロジェクト in 宮城」。解体予定の建物で絵を描き、写真を撮り、ネガティブをポジティブなものに変えて記憶を残す。
(取材日:2016年8月)
高田 彩(たかだ・あや)
ビルド・フルーガス代表、塩竈市杉村惇美術館統括。1980年宮城県塩竈市生まれ。2006年、塩竈市内に「ビルドスペース」をオープン。アートと地域の距離を縮めるため、北米や地元のアーティストや建築家らと出張ワークショップやイベントを開催。2013年には松島町で被災し、惜しまれながらも解体が決定した「カフェ ロワン」で行われた「ジョルジュ・ルース アートプロジェクト in 宮城」にも携わり、「ビルドスペース」では作品展示と記録映像の上映を行った。