特定非営利活動法人 吉里吉里国

活動地域:岩手県大槌町吉里吉里

インタビュー:芳賀正彦(はが・まさひこ)/特定非営利活動法人 吉里吉里国

高さ約20mの津波に襲われた岩手県大槌町吉里吉里。2011年5月15日、芳賀さんは避難所での焚き火をきっかけに、瓦礫から薪をつくり販売する「吉里吉里国 復活の薪」プロジェクトを開始。瓦礫の撤去が進むと、芳賀さんたちは手つかずの人工林に入り、間伐整理へと活動をシフトさせた。そして収入を失った漁師たちにもチェーンソーの使い方から倒木の仕方などを教えるプロジェクト「吉里吉里国 林業大学校」を実施。「犠牲者に恥ずかしくない生き方をしていきたい」そう語る芳賀さんは、今日も吉里吉里の山に入り、チェーンソーを握る。

正直に日々の暮らしを続け、
現場に仁王立ちしていれば 怖いものはない

避難所の焚き火から、森の再生へ
広がる吉里吉里国の活動

震災直後は、薪の生産と里山の整備を行っていました。今もこのふたつの事業はずっと続けていきたいと思っています。さらに力を入れているのは、まちの未来を担う子どもたちの人材育成と林業の担い手、後継者づくり、再生可能エネルギーの地域内普及です。活動が広がってきたのは、震災から2年が経過する頃ですね。その頃から私たちの気持ちにも余裕が出てきて、少しずつ円滑に推進できるようになりました。なぜ人材育成が必要かというと、「私たちが生きている間だけ森林整備や薪の普及をやればいいのか?」と思うようになり、これは永続してはじめて私たちの理念が正しかったかどうかの答えが10年、30年、50年先にあらわれるんだなと気がついたからです。森に入りはじめた当初は、約40年もの間、人の手が加えられず荒廃した里山になっていたんですね。それをきれいにしようということで森に入ったんですけど、例えば薪の材料となる木は、約50年ほど前にこの土地に暮らした先人の漁師たちが苗木を買って植林し、大きく育ったものです。それを今、私たちはいただいている。ということは、今度は私たちがその恩をそのままそっくり後世の人たちに残す義務があると思います。下刈り、枝打ち、一次間伐、二次間伐、いろいろな保育作業を施します。そして50年かけて大きく育った木をいただくのは、私たちじゃない。50年先にここで暮らす人たちが、私たちが流した汗をいただけばいいと思います。

人材育成事業の一例を挙げると、「吉里吉里学園小学部」というのがあります。これは年4回、小学校5年生の野外体験学習を受け入れています。チェーンソーは扱えないので、手ノコを握らせて1本の木を伐倒する間伐体験をやっています。私たちが常に心がけているのは、子どもたちが自分の手で木を倒し、薪割りをすること。自分で得た成果が、その子たちの本当の自信につながると思っています。そしてもうひとつ、地域の山林所有者や、森に興味がある地域の人たちを対象に林業技術習得のための林業学校も行っています。吉里吉里集落の8割の民有林を所有しているのは漁業者です。だから漁師たちに林業技術を習得してもらうことによって、海が荒れたとき、山に入って小遣いを稼いでもらう。林業学校の門戸は年齢・性別問わず大きく開いています。

間伐材から薪をつくる事業も続けていますが、最初は8割が県外からの注文でした。それが今は9割以上、地域の人たちが薪を使ってくれています。ちょうど2年前から、まちの復興工事に携わる建設工事の従業員の方たちの宿泊施設がつくられました。その共同浴場では私たちの薪が使われています。毎日100kgの薪を365日、火をくべています。

すべての答えは
現場が教えてくれる

こうして活動を続けて来られたのも、震災直後に吉里吉里国をつくった理念をずっと持ち続けているからだと思います。それは、貧しくはない質素な暮らし、少しの不便さを楽しみながら心豊かな日々をおくること。つくることは生きること。自らが炎天下や真冬の森の現場に仁王立ちすること。このことは震災直後、今、これからも変わりません。毎日「今日も事故がないように守ってください」という気持ちで森に入る。山から帰るときは「今日ちょこっと山の恵みをいただきました。明日もまた来ます」と下る。真夏の炎天下の作業では、スズメバチに追っかけられたり、マムシに睨まれたり、漆かぶれにもなります。でも11月になると高い山には初雪が降り、涼しい秋風が吹いてくる。そういうときに秋風に身を任せて初雪のなかで立ち尽くすことがあるんです。そのときは「俺はよく夏の炎天下を乗り切ったな」と自分を褒めてやりたくなるような感動を覚えます。そうして、少しずつカモシカのような強靭な足腰になって一人前になる。まさに森が生き方を教えてくれているんです。それは正直に、現場で仁王立ちし続ける人の特権。険しい山の斜面でどうにも足が動かなくなることもあります。そんなときは立ち止まって空を見上げます。そうすると震災の犠牲になった人たちの顔が浮かんできて、ちょこっと足が動くようになるんです。

震災直後は生き延びるための非常事態でしたが、5年が経過した今もまだ先の暮らしが見えない非常事態は続いている。でも、私は慌てたりしなくていいと思っています。もう間もなく、そういう非常事態は解決できる。今度はこれまでにないような、もっと立派なコミュニティーをつくる機会が与えられるんだとプラスに考えています。ここで正直に暮らす人たちが主体となった地域づくり、まちづくり、日々の暮らしを続けていけば、なにも怖いものはありません。

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2012年1月、森で伐倒を行う芳賀さん。間伐を行うことで太陽の光が入り、山が豊かになる。それは海が復活することにも繋がる。

(取材日:2016年8月)
photo:hana ozazwa

芳賀正彦(はが・まさひこ)
1948年福岡県糸島市生まれ。「吉里吉里国 復活の薪」プロジェクトの発起人。震災から1ヵ月が経過する頃、避難所に届けられた薪ボイラーのお風呂を瓦礫から集めた廃材で沸かしていたことがきっかけで、瓦礫から集めたスギやアカマツを薪にして販売し始める。現在は吉里吉里の森林整備を行う「復活の森」プロジェクトや人材育成事業に取り組む。

 

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