石巻ワンダー横丁

活動地域:宮城県石巻市

インタビュー:梶原千恵(かじわらちえ)/石巻ワンダー横丁

石巻(宮城県)の駅前商店街を中心に、“みんなの要望にみんなで応えていく”活動を行う。その内容は、シャッターに絵を描いたり、壁に絵を描いたり、壊れた看板をな おしたり、花壇を作って種を植えたり、仮 設住宅のための表札を作って展示して配ったり、子供と遊んだり、大人と遊んだり、鍋を囲んだり、新聞を作ったり、地図を作ったり、人を運んだり、案内したり、東京に伝えたり、けんかしたり、仲直りしたり、大笑いしたり、大泣きした り、みんなで太鼓をドカドカ叩いて笛をピーヒョロ吹いてギターをベンベン弾いてでたらめな歌をうたったり......と実にさまざま。商店街の一画にある「石巻ワン ダー横丁」の拠点では、いろんな人が現れ、いろんなことが起こり、いろんなものが生まれていく。

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震災を機に気づいた町・人・美術の魅力
この町を”アートの町”にしたい

“美術なんて役に立たない”と後悔した1ヵ月

宮城県北東部を代表する都市・石巻市と隣に位置する女川町は、宮城県のなかでも被害が大きかったエリアと言われている。石巻駅から石ノ森萬画館をつなぐ『いしのまきマンガロード』にもなっていた立町商店街も、津波の被害を受けて一瞬にして姿を変えてしまった。震災から4ヵ月をすぎても、まだ再開している店舗は少なく、マスクをした人々が行き交う商店街の一画で、ひときわカラフルなシャッターが目にとまる。それが未来美術家・遠藤一郎さんを筆頭に若手アーティストたちが中心となり、街に活気を呼び戻すことを目指している『石巻ワンダー横丁プロジェクト』の拠点となっている場所だ。取材時にはここで、石巻西高校と石巻好文館高校の生徒たちが仮設住宅に入居する人たちのためにつくった表札がズラリと展示されていた。企画したのは女川町で生まれ育ち、石巻市の高校で美術講師をつとめる梶原千恵さん。今でこそ明るい笑顔を見せてくれた梶原さんだが、震災後しばらくは自分がこれまで”美術”に携わってきたことを後悔し、”何かしたい”と思いながらも、どうしても身体が動かなかった。

「地震の直後、電気や水道など衣食住に関係する仕事の人は、すぐに動いて役に立っていました。でも、私は美術の講師です。なんとか仕事には行っていましたが、美術とかアートとか、”なんて役に立たないんだろう……”と考えていました」

1ヵ月が経過する頃、”何かしたい”という気持ちは日増しに強くなっていく。そんな中訪れたボランティアセンターでの会話が梶原さんの思考を変える。

「”何かお手伝いできることはありませんか?”と尋ねたら、”あなたは美術を教えることができるんだから、その力を活かして役に立ってください”と言われたんです。そこから必死で何ができるかを考えました。ちょうど仮設住宅の建設がはじまった頃で、現場を見に行ってみると、仮設住宅って全体的にグレーなんですよね。そこに人が住むことを想像したら、ちょっとでも明るくなるように何かつくりたいなと思ったんです」

木彫を得意とし、自宅の表札なども制作していたことから、梶原さんは廃材を使って仮設住宅に入居する人のための表札づくりをはじめる。すると、その姿を見ていた生徒たちから「私もやりたい」という声があがり、美術の授業で生徒と一緒に表札づくりを行なうことになったのだ。当初は展示する予定ではなかったものの、『石巻ワンダー横丁プロジェクト』と出会ったことがきっかけでここで展示されることになった。

再確認したアートの”力”。生まれ育った場所をアートの街に

現在では県外から何人ものアーティストたちがここを訪れるようになり、商店街の人たちとも交流が生まれている。しかし、シャッターに描かれた絵も、表札の展示も最初から地元住民にすんなりと受け入れられていたわけではない。その過程にはアートならではの”特権”があったと梶原さんは話す。

「美しいものや楽しいもの、明るいことをして活動していると最初はみんなイヤがるんですよ。”見ているだけでいい”という感じで。でも、じっと見ているとやっぱりやりたくなってくる(笑)。得体の知れないものだけど、なんだか”面白そう”と感じるんですね。現実に戻ったら楽しいことなんて全然なくて、暗いことしかないですから。それで”ちょっとやってみようかな”と参加してみると、例えば表札がひとつ完成したら、もっと楽しくなるんですよね。表札も、1週間で14枚もつくった方がいらっしゃいましたから。彫刻刀を握るのも、絵筆を持つのも何十年ぶりというおばあちゃんたちが、そうやってどんどん元気になっていくのを見て、美術の力ってすごいなと思いました」

一時は美術の無力さに失望したものの、あらためてその力を再認識した梶原さん。そんな彼女は今、ある計画を胸に秘めている。

「昔から住んでいる人も、私を含めて若い人たちも、震災以前はこの町や商店街にそんなに興味がなかったんですよ。全然つながりもないし。でも、これからはもっと仲良くして愛着を持ってほしい。私も震災をきっかけにここが楽しい町で、面白い人たちがいっぱいいることを知ったんですよね。表札展示を見に来てくれた人も”次は何をするの?”と言ってくれて。だから、これからもっと面白いことを考えて、今ある絆を深く、広くしていきたいと思います。これはちょっと秘密なんですけど、私が住んでいる女川にギャラリーをつくりたいんですよね。最初は受け入れてもらないかもしれないけど、これを機に”女川をアートの町にする”って勝手に思っています(笑)」

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名前からイメージを膨らませて掘られた表札たち。ひとつひとつの表札の裏側には、つくった人からのメッセージも書かれている。

(取材日:2011年6月30日 宮城県石巻市にて)
Photo : Reiji OHE

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