いわきに住み、生きていきたい。
それ自体が”冒険”なのかもしれない
できるかできないか、わからない
冒険のはじまり
いわき市在住の会社員や学生たちで運営されている『いわきぼうけん映画祭』は、いわき初の大規模な映画祭。「なぜいわきで映画祭ができないのだろう?」という増田さんの心の奥にあったモヤモヤが『いわきぼうけん映画祭』のはじまりだった。そこから職業も年齢も、考え方も異なる仲間たちが集まり、2011年2月に記念すべき第1回目を開催。しかし、その1ヵ月後に東日本大震災が起きた。
「正直、震災直後は”もう(映画祭は)できないかな”と思ったこともありました。でも、1回目の映画祭に参加してくださった方々から、”こういう先が見えないときだから、先が見えるものをつくりましょうよ”という提案をいただいたんです。さらに、”できるかできないか、わからないから冒険なんじゃないですか”という言葉もいただいて、第2回目の映画祭を開催することを決意しました」
映画祭の継続を決めた頃、避難所のテレビに映し出されていたのは原発と津波の話題ばかり。そんなとき、増田さんは映画祭のスタッフから新たな相談を持ちかけられた。
「”避難所で映画の上映ができないか?”という提案だったんです。実際にいくつか避難所に上映会のお話を持ちかけたのですが、そのときは”それどころじゃないでしょ”という反応でした。でも、1ヵ月ほどして状況も落ち着いたときに”物資の運搬や支援だけでなく、その先の支援があるのでは?”と考えたんです。そこで、スタッフとも相談して市内に点在している避難所で『巡回上映会』を行うことにしました」
避難所での巡回上映会から
2013年の映画祭を目指して
避難所での『巡回上映会』がはじまったのは震災から2ヵ月が経過した5月(11月6日をもって終了)。増田さんは1回目の上映会がとくに印象的だったと話す。
「避難所の方々が三々五々集まってきて、寝転がったり、親子で寄り添うように観たり、思い思いの格好で映画を楽しまれていました。それを見てホッとしたし、とても嬉しかったのを覚えています」
上映会終了というひとつの節目を迎えた『いわきぼうけん映画祭』は、2013年に開催を予定している第2回映画祭の準備に向けて新たな”冒険”へと進みはじめた。
「この映画祭が町のために何ができるのかは、正直わかりません。ただ、自分たちはいわきに住んで、この先もいわきで生きていきたいと思います。100%安全とは言えないこの町に住むこと自体が”冒険”なのかもしれません。夢のない話かもしれないですが、第2回目が開催される2013年に、いわきの状況が今と比べて大きく変わっているとは思いません。僕たちは、一歩先に何が待ち受けているのかわからないのが”冒険”なんだという想いで活動を続けていきたいです」
取材日: 2011年7月8日 福島県いわき市にて
photo :jouji SUZUKI