AD BOAT PROJECT / 01

活動地域:岩手県釜石市・盛岡市

インタビュー:菅原 誠 / 佐々木洋裕(すがわらまこと/ささきひろやす)/アドボートジャパン

企業ロゴを船体全面に貼った「復興支援船」。
企業やブランド・団体からの支援金を船の購入資金の援助にあて、その企業ロゴをまるでF1レースカーのように船体にレイアウト。
支援をする側に対して「みなさんのお金でこのような漁船を購入できました」と明確に表現できる、被災地のためでもあり支援する側も納得できるプロジェクト。現在作成中のオフィシャルWEBサイトでは、支援先と支援する側のコミュニケーション手段を用意し、被災地の復興を共に実感することができる。この先何年、何十年も続く"継続的な復興"を目指したビジネスの提案である。


漁船をF1カーにして”漁業の町”を復活させる

000013_03.jpg

000013_04.jpg

津波で漁船を失っても、漁業を続けたい

世界三大漁場のひとつ、三陸漁場を持つ釜石市。現在、釜石の港には津波によって傷つき、廃船となる漁船が並べられており、タコ漁を専門にしていた佐々木さんの船「第三漁裕丸」も、この場所に引き上げられている。震災のあった3月はナメタガレイが産卵期を迎え、漁も忙しくなる時期。佐々木さんは父親の漁を手伝うため、海岸で網の準備をしていたところで地震に遭った。津波が来ることを知り、近くにあった資材を軽トラックに積んで高台に避難したという。

「避難した高台から自分の船も、父親の船も、それから実家も、洗濯機のような状態でグルグルまわって流されていくのを呆然と見ているだけで、何も考える余裕はありませんでした」

船を失ったのは佐々木さんだけではない。所属する漁業組合には500名以上もの漁師がいる。奇跡的に残った船は数艘……。つまり、何百という船が被災したのだ。かろうじて廃船を逃れた船も、修理をする造船所が被災していたり、資材(漁具)が津波で流されているため再び漁に出る目処は立っていない。船が廃船になると、漁を再開するためには新しい船が必要になる。しかし、生活の糧となる漁を行なえない状況のなか、多額の費用を捻出して船と資材を購入するのは難しい。

「私の船は4.9トンですが、同じサイズの船をつくる費用は4500万円。仮に船を注文できたとしても、完成するのは1年半後の春だそうです。漁をするためには、船だけでなく樽や網などの資材も必要です。私の場合は漁をはじめて10年ほどですが、父や先輩は何十年もかけて準備してきたので、1千万じゃ足りないくらいの資材が流れてしまいました」

三陸の海と漁師である父親の背中を見て育ち、一度は内陸の会社に就職したものの、故郷で漁師になることを選んだ。津波の爪痕がくっきりと残る船を前に「ここに来ると涙が出る」と、ポツリと語る佐々木さんだが、1日でもはやく漁を再開したいと意欲を見せる。

「私は海も漁師も好きなので体力が続く限り、この仕事をやるつもりです。これから漁業を守り立てて、”漁業を柱にしたまちづくり”をしていかないと、釜石の復興は見えてこないと思います。漁業関係者が頑張って、前以上に水揚げできる市場になってほしいですし、お母さんたちが働ける加工場などの産業も大切です。そうやって、地元の人が地元で穫れたもので食べていけるような町ができればいいなと思います」

新しい船の購入は、復興への大きな一歩となる。今、佐々木さんは新たな方法で再び船漁に出る日を待っている。それがスポンサーを募って漁船を購入するプロジェクトだ。

10年、20年、支援し続けるためのビジネス

漁師たちを支援するプロジェクト『AD BOAT PROJECT』の発起人は、盛岡市で靴店を営む菅原さん。靴と漁船という不思議な組み合わせだが、そこには菅原さんならではのアイデアが隠されていた。

「震災直後は、靴を1万足集めて届ける活動をしていました。やがて、現地でも靴屋さんが再開しているのを見かけたときに、僕なりに”復興”を考えてみたんです。岩手県沿岸部のほとんどは、すべてのビジネスにおいて漁が中心。ならば、やはり漁を復活させるしかないと思いました。(釣りが大好きだったこともあって)知り合いの漁師さんに会いに行ったときに”いちばん欲しいものは?”と尋ねたら、”船がほしい”という話になるんです。私はファッション関係の仕事をしているので、広告のことも少し勉強していました。そこで、F1カーのように企業ロゴを漁船に付けて、スポンサーを募るかたちで漁師の方を助けられないかと考えたんです」

つまり、『AD BOAT PROJECT』ではプロジェクトの主旨に共感した組織や企業が、そのロゴマークを漁船に描く”広告料”が義援金となる。世界各国から集められた義援金が、まだまだ被災地に行き届いていないという現実がある一方、このプロジェクトでは支援をする側に対して「みなさんのお金でこのような漁船を購入できました」と明確に表現できることが特徴でもある。

「スケールの大きなプロジェクトなので、まずはひとつ事例をつくりたいですね。そうすれば、大手メーカー・ブランド・海外の会社にもプレゼンテーションができます。賛同してくださる企業には、この”広告漁船”を使って新しいビジネスを考えていただきたいですね。10年、20年かけて沿岸部を支援していくためには、企業側も多少なりとも利益を得なければ長続きしません。震災ビジネスが成立する時期にきていますし、お客さまにも賛同していただけるものだと思います」

幸いにも地震の影響が少なかった盛岡市は、岩手県沿岸部にもっとも近い街であり、被災者の声がいちばん届く場所でもある。『AD BOAT PROJECT』は、盛岡市と沿岸部をしっかりとつなぐ役割を担っている。

「僕たちは船を用意して、漁師さんが漁に出ていくところまでサポートしていきます。漁を復活させて、漁師さんたちには笑って暮らせる”普通の生活”に戻っていただきたい。今後はスポンサー(支援者)・『AD BOAT PROJECT』(受け入れ先)・漁師、この3者にとって幸せな計画を進めていくことが、最高のかたちだと思っています。そこがうまくいけば、この先何年、何十年も続く”復興”が可能になると考えています」

※ 「AD BOAT PROJECT」を運営する「アドボートジャパン」では、岩手、宮城、福島の漁師支援プロジェクトを公募していきます。
詳しい内容はアドボートジャパンまでお問い合わせください。

000013_02.jpg 盛岡市で『菅原靴店』を営む菅原 誠さん。『AD BOAT PROJECT』の発起人。アパレルブランド「GEKKO」とのコラボレーションによる”GEKKO震災復興支援パーカー”も企画。

000013_05.jpg 今回の津波により漁船を失った佐々木洋裕さん。『AD BOAT PROJECT』が成功すれば、佐々木さんが第1号のモデルケースとなる。

(取材日:2011年7月10日・11日)
Photo : Takeshi HOSOKAWA

PAGE TOP に戻る