ユイノハマプロジェクト

活動地域:宮城県石巻市桃浦

インタビュー:後藤建夫 / 甲谷泰成(ごとう たてお / こうや やすまさ)/

石巻市桃浦地区を襲った津波は、避難所となっていた荻浜小学校を残し、集落のほとんどをさらった。住民が離ればなれになった桃浦には、仮設住宅は建設されず集落を離れた人々が、〝桃浦へ戻りたい〞と願っていても、集まれる場所もない。「こうした状況が長引けば誰もいなくなってしまう。」桃浦の浜のまとめ役である後藤建夫さんと、荻浜小学校のPTA 会長を務める甲谷泰成さんの危機感と望郷への熱い想いに共鳴した「ユイノハマプロジェクト」のメンバーを中心に、桃浦の「これから」をつむぐため、浜を眼前に集える「場」を建設中である。


浜に人を。
桃浦の復興へ向けて

変わってしまった浜の風景、
変わらない浜への想い

桃浦地区は牡鹿半島の石巻寄りにあり、牡蠣の養殖で世界的に知られた場所でもある。しかし、津波は避難所となった荻浜小学校とわずか3戸の家を残し、集落ごとのみこんだ。震災後しばらくすると、各地で仮設住宅の建設がはじまったが、桃浦地区には建てられなかった。生まれ育ったこの土地にいくら愛着を抱いていようと、新しい生活のために離れざるをえない状況で、多くの人々が後ろ髪をひかれながら他の土地へと移っていった。一方、漁港では瓦礫撤去や漁具の回収・整備作業が進められ、2011年9月上旬の養殖再開を目指して歩みはじめていた。その矢先、9月下旬に上陸した台風15号の影響により、山から大規模な土石が流れ込み、整備していた漁具も再び流されたのだ。養殖の再開も延期を余儀なくされ、困難な状況が続くなか、宮城県漁協の桃浦出張所支部長で牡蠣養殖を営む後藤建夫さんは、ある想いを抱いていた。

「浜の整備や牡蠣の養殖を再開するときに、屋根があって休める場所すらありません。そして、集落に仮設住宅が建設されなかったので、ほとんどの人が浜を出ていきました。〝桃浦へ戻りたい〞と願っていても、このまま市内で生活する時間が長引けば、戻りにくくなります。しかし、この浜をなんとか存続させたいんです。若い人たちが生きていく場所をつくりたい。なにより、ふるさとを守りたい」

桃浦地区の高台で民宿「瑞ずいこう幸」を営み、荻浜小学校のPTA会長をつとめる甲谷泰成さんも、後藤さんと同じく浜の未来を憂える。

「荻浜小学校は小さな学校で、被災前でも21名の児童しかいませんでした。浜から人が出て行き、2学期がはじまった時点で9名の子どもしか残っていません。校長先生をはじめ、先生方は本当に子どもたちのことを考えて大きな学校に負けない学校をつくってくださっています。私はそんな先生たちを信頼して子どもを預けていますが、やはり9名という人数は少ない。正直、今後どうなるのか不安な状態です」

2011年4月、荻浜小学校と桃浦地区を継続的に支援していたアーティスト岩間賢さんと狩猟家大島公司さんを中心とした「ユイノハマプロジェクト」は、浜の人たちの想いを聞き、〝人が集い・休み・語れる場〞をつくるべく、集会所の建設をはじめた。建設場所となる荻浜小学校のグラウンド脇にある、海や港が見渡せる場所で後藤さんは語る。

「この集会所ができることで、またそれに関わってくれる人が桃浦に出入りすることで、私たちも元気づけられます。ここにみんなを集めて、集落のこれからを考えていきたいと思います」

この場所に住み続けて
仲間が戻るのを待ち続ける

 
2012年1月、荻浜小学校近くの高台には工具を手にした「ユイノハマプロジェクト」のメンバーたちが集会所の建設作業を行っていた。港には少しずつではあるが、養殖のための漁具が並べられている。しかし、あたりには何もない風景が広がっているままだ。震災以降、この風景をずっと見てきた後藤さんは言葉にならない想いを口にする。

「あまりにも何もなくなってしまったので、何と言っていいのか……。牡蠣の養殖を再開すれば、ある程度の人数は戻ってくると思いますので、それを目指して動いているところです。ただ、養殖の再開には資金的な問題もあります。高台移転に関しても、私たち世代の住民が多いものですから、3年も5年も待てるかどうか。それでも、自分のふるさとだけは守りたいという想いがあります。今はまだ誰も戻ってきていませんが、集会所ができたらみんなを集めてこれからのことを考えたり、子どもたちと色々な行事をしたいと考えています」

3学期を迎えた荻浜小学校だが、児童の数は9名のまま。そのうち2名は6年生のため、2012年の春には7名になってしまう。甲谷さんの子どもふたりも小学校4年生。そのふたりが卒業する2014年には、残る児童はひとり、もしくはゼロになる可能性がある。こうした状況のなか、甲谷さんも浜の人たちが戻る日を待ち望んでいる。

「もうじき震災から1年になるわけですが、大きな変化は起こっていません。岸壁はまだあの日のままですし、仮設住宅に移られて浜にはもう人がいなくなってしまったという状況が続いています。ただ、集会所の建設が進んでいますので、それが起点となって桃浦の復活に向かっていくのかなと思います。子どもたちは明るく元気でやっていますが、児童がひとりしかいない学年もあります。友達や先輩後輩の関係、団体行動ができていないことが不安要素になり、転校を考える親御さんもいらっしゃいますし、統廃合の話も出てきています」桃浦で浜の人たちを待ち続ける後藤さん、甲谷さん。浜の風景がいくら変わってしまっても、彼らにとって、そしてここで生まれた子どもたちにとって、桃浦が大切なふるさとであることには変わらない。これからの桃浦について、甲谷さんはこう語る。

「目の前には広い海があって、背中には山があり、沢があります。自分にとってはやはり自然の中が住むべきところですし、とくに子どもたちにとっては活発に遊べる素材がいくらでもある。そういった環境というのは、震災があろうがなかろうが変わるものではありません。これまでは防潮堤を高くして自然と相対する流れがあった。でも、今回の震災でそれが人間の力を超えるものであることがわかったはずです。この浜も、チリ地震津波を起点に防潮堤をつくっていましたが、ことごとく壊れました。壊れたものをつくりなおすのもひとつの方法ですが、それよりも自分たちの住む場所のあり方、生活のあり方を考え直し、自然と一緒に進んでいったほうが将来のためになるのではないかと思います」

000271_2.jpg 「ユイノハマプロジェクト」の協力で荻浜小学校の近くに建設される集会場。2011 年12月17日に上棟式が行われた。

(取材 2011年9月28日、2012年1月17日/宮城県石巻市桃浦にて)

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