矢部園茶舗

活動地域:宮城県塩竈市

インタビュー:矢部 亨(やべ とおる)/矢部園茶舗

塩竈市海岸通りの商店街で70年以上の歴史を持つ茶舗。アーケードを覆うほどの津波に襲われ、商売に必要なものすべてが流されたが、矢部さんはわずか4ヵ月後、商店街の中でいち早く店を再開。そこには「30年、40年、50年後に自分たちを“先祖”と呼ぶ世代の基盤となるように」という想いがあった。また、仕事を失った人たちがもう一度働き、家族を養う“通常の生活”を取り戻すために復興支援の株式会社『東北クリエイト』も設立。経営者のネットワークを駆使し、飲食業、人材派遣業、収集運搬など、あらゆる仕事形態に対応できる体制で、雇用を生み出そうとしている。また、東日本大震災によって両親を失った子どもたちに20歳の誕生日を迎えるまで支援を続ける『NPO法人 JETOみやぎ』を2012年2月に設立。現在、約100人近くの子どもたちがエントリーしている。

この商店街に光をもう一度灯すことで
みなさんへの感謝を示し、生き方を伝えていく

リスクに怯えていては
本当の復興支援はできない

 初詣には40万人を超える参拝客で賑わう、陸奥国一宮・鹽竃神社。その神社へ続く観光の導線となっていたのが、本塩釜駅近くにある海岸通商店街だ。『矢部園茶舗』は、この地で80年余り続く日本茶専門店。しかし、津波は商店街のアーケードの高さまで押し寄せ、 矢部園茶舗のみならず商店街をまるごと飲み込んだ。

「3月11日当日は、東京で研修会に参加していました。尋常でない揺れのあとでほどなくテレビで三陸沿岸部に津波警報が発令されたことを知り、すぐに電話をかけましたが全然つながりません。翌日、1便だけ飛んでいた庄内空港行きの飛行機で山形に向かい、そこから車で塩釜に戻ってきました。塩釜の被害は本当にひどいもので、石油タンクは燃え続け、タンクローリーや観光バスがおもちゃのように転がっていて……。まるでSF映画を見ているようでした」

 商店街に押し寄せた海水が引いたのは、それから約5日後。膝の高さまである泥に足を取られながら矢部さんは店までやってきた。現実を目の当たりにし、事業再開までに相当な時間がかかると直感したものの、どうにか商店街が残っていたことがせめてもの救いだった。
「震災から5日後に、塩釜よりも被害が大きかった石巻市へ伺う機会がありました。門脇南浜地区に関しては全壊全滅。それを見て、店の復興だけでなく、同時により被害が大きかった地域の支援を並行してやらなければと思ったんです。そうしないと、あとで振り返ったときに”自分はできるだけのことをやったのか?”と悔いてしまう。見過ごすわけにはいきませんでした」

 雪も散らつく寒さの中、エネルギーも食糧も被災地に行き届かない状況にいてもたってもいられなくなり、矢部さんは全国の仲間たちに声をかけて支援物資を運び続けた。毎日避難所に足を運ぶ矢部さんのもとには、マスコミの情報では得られない”現場のニーズ”が耳に入ってくる。

「2ヵ月が経過した頃、支援物資の不足は落ち着きましたが、雇用と仕事の喪失が問題になってきました。政府の災害支援は個人に対して行われても、国を支えている中小企業に対するものがなかったんです。仕事がないから希望が見えない、家族を養えない、病院に行くための車も買えないという状況……。そこで、災害支援のための会社を設立しようと考えました。NPO法人やボランティア団体ではなく、しっかりを利益を創出するための組織です。飲食業、警備業、人材派遣業、収集運搬、行政書士など、いろんな方が関われて、ありとあらゆる仕事の形態が出てきたときにチャンスを掴めるように。もちろん、リスクも抱えていますが、それに怯えていては復興支援はできないんです」

次の世代につなげる基盤づくりが
復興の本質

 雇用を生み出す復興支援活動と並行して、矢部さんは商店街の中でいち早く店舗再開に向けて動き出す。震災から約3ヵ月がたっても商店街の交差点に信号はなく、警察官が手信号で車を誘導していたが、『矢部園茶舗』の倉庫には新しい店のために用意された什器や備品が並んでいた。

「例えば1000年後に同じ津波がきたら、間違いなくこの海岸沿いにはまた津波があがるでしょう。しかし
大切なことは、この商店街の導線だったり、つくってきた歴史をしっかりと紐解くことなんです。海岸通商店街は、駅からまっすぐ 鹽竃神社の参道へ歩いていける道筋。その道筋の灯りをここで消していいのか? 先代が創業したこの場所で、しっかりともう一度灯りをともすことでみなさんへの感謝の気持ちを伝えたいんです。”シャッター通り”と言われながらも、ここで生活させていただいているのは、祖父の代から近所の方にお世話になり、そうした人の生き方と時間の積み重ねのおかげだと思います」

 一度は消えそうになった『矢部園茶舗』の灯りが、矢部さんの手で新たにともされようとしている。そこには、この町の未来に対する強い想いが秘められている。

「30年後、40年後、50年後、私たちのことを”先祖”と呼ぶような世代の人たちに”先代のおじさんたち、頑張ったなぁ。我々も、我々なりのかたちをつくっていこう”と思ってもらえるように、基盤をつくりたい。私たちの背中を、子どもたちは見ています。彼らが大人になったときに、きっと次の世代にこのことを伝えていくでしょう。それが本当の意味で”復興”だと考えています。先人に感謝し、商店街にとって何が大切なのかをもう一度地域の人たちにしっかりと伝えていくことが大切なんです」

取材日:2011年6月29日、2012年1月17日 宮城県塩竈市にて
photo:Reiji OHE

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震災から約3ヵ月が経過した取材時の『矢部園茶舗』。商店街の中でいちはやい再開に向け、工事が行われていた。

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商店街に再び灯りをともす『矢部園茶舗』のために用意された什器や備品。矢部さんの復興への強い想いが詰まったこだわりのものばかり。

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