ようこそ「いわき」へ。

 当たり前の毎日が、どれほど愛おしく、尊いものなのかを思い知った、東日本大震災から4年半。震災が起こるまで、そこにあるすべてが当たり前すぎて気にすることすらなかった、自分の故郷「いわき」のこと。

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その瞬間、私は東京にいた。次の仕事場へと移動する車の中で感じた、すさまじい揺れ。ビルから道路へと溢れ出る人々。急いで会社へ戻り、テレビをつけると、そこに映し出されていたのは津波で流される港の映像。ただ事ではない。見つめた画面の右上に表示される「小名浜港」の文字。私が生まれ育ったまちの港だ。故郷がなくなる?想像することのなかった現実に混乱しながらも、その瞬間、”何かしなきゃいけない”と強く思った。

いわきに戻ると、地元の仲間たちが物資配布や炊き出しを行っていた。物資倉庫で全国から送られてくる物資の仕分け作業し、間に日向ぼっこをしながら、先の全く見えない最悪の状況の中で、最高のこれからの話をした。とても楽しかった。もちろん大変な時だったけれど、そんな中での会話のひとつひとつが希望であり、救いだった。その時の思いがすべての始まりで、「地域活性プロジェクト MUSUBU」が出来た。こんな時だからこそ、自分たちも楽しみながら、おおくの楽しみやワクワクを生み出していきたい。誰かに伝えたくなる「いわき」を増やす、発見する。誇らしく思える故郷があるということの気付き。それこそが、「いわき」のこれからを変えていく糧になるのではと思った。

震災直後、物資倉庫での作業の合間に撮った1枚。全国から続々と届く支援物資を仕分けし、近所に住む高齢の方のお宅を中心に訪ねて回った。
2011年4月2日、いわき市小名浜にある諏訪神社での炊き出し。体も心もあたたまるうどんを作った。
2011年4月2日、いわき市小名浜にある諏訪神社での炊き出し。体も心もあたたまるうどんを作った。

 2011年6月、MUSUBUとして最初のイベントを開催。津波被害にあった沿岸地区のイベントホールをみんなで清掃し、ロックバンド「くるり」を招いて音楽ライブを行った。”楽しんでいけない”、そんな空気が世の中に漂う時期の開催だったが、蓋を開ければ、たくさんの笑顔溢れるライブとなった。この日を皮切りに、ジャンル問わず多くのイベントやプロジェクトを行ってきた。

海の目の前にあるイベントホールは津波で多大な被害を受けた。この場所を清掃し、翌日のライブへと備えた。イベント時は電気も回復しておらず、トイレには懐中電灯を用意した。
ライブ終了後、くるりのメンバーの皆さんも交え、このライブを作り上げた全員での集合写真。このライブ以降も、くるりの皆さんは何度もいわきを訪れてくれた。 Photo by HIZAGAR

 2012年夏には、ロンドンから日本人ファッションデザイナー川西遼平さんを招き、子供たちと洋服の生地を作り、仕立てファッションショーを行う「London- Fukushima project」を実施。川西さんはこのプロジェクトの為、いわきに一ヶ月滞在。洋服の材料、制作スペース、はたまた宿の確保に至るまで多くの地元民の協力の元、プロジェクトは無事成功を遂げた。夜な夜な作りあげられる洋服に、皆が心躍らせた。長時間共にしたからこそ生まれた豊かな関係がそこにはあった。

洋服のパーツ作るワークショップは、いわき市内外の小学校をはじめ、仮設住宅の集会所、各所イベントなど13回開催。たくさんの思いがつまったパーツを組みあわせ、川西さんが洋服を仕立てた。
出来上がったカラフルな洋服たち。ワークショップに参加した子供たちがモデルとなり堂々とランウェイを歩いた。(Photo by Riken Komatsu)
Photo by Yuji Hisa

2012年4月からは、原発事故により立ち入りが難しくなった桜の名所「夜の森」(福島県双葉郡富岡町)の桜を届ける「桜の森 夜の森」プロジェクトを始動。トラックの荷台を展示スペースに改造し移動写真展を行い、春の訪れと共に、福島県内・外に美しい桜を運んだ。このプロジェクトは、形を変えながら現在も続いている。Photo by Yuji Hisa

たくさんの人が思い思いに「夜の森」の桜を楽しんだ。展示トラックの絵はいわきの子供たちが書いたもの。

時が経ち、環境や感情の変化と共に、MUSUBUの活動も進化していく。地域企業とコラボレーションした新しいいわき土産の開発や、人・場所・ことを巡るいわきツアーの実施など、そもそも「いわき」にある地域の宝を見直し、磨き、伝え、体感してもらうようなプロジェクトが増えた。”大事なものは意外とすぐそばにあった“、なんてよく言う話だけれど、大切にすべきものは、ほんとにそばにあるような気がしている。

誰に言われて始めたわけでもないMUSUBUというプロジェクトは、楽しむことを忘れない限り、ずっとずっと続いていく。MUSUBUから生まれるあれこれから「いわき」を感じて、ちょっと「いわき」が気になったり、行ってみたいと思ったり、何かの際にふと「いわき」を思い出したりするようなことがあるとすれば、それほど嬉しいことはない。この記事を読んだ偶然のように、たくさんの偶然が集まって、「いわき」を感じることが必然になればいいなと思う。

 

文・宮本 英実 Hidemi Miyamoto
福島県いわき市地域活性プロジェクトMUSUBU代表。1984年、いわき市小名浜生まれ。高校卒業後に上京、音楽プロダクションでマネージメント、レコード会社でミュージシャンの宣伝担当をするなど、エンターテインメント業界にどっぷりつかる。東日本大震災で人生が一変、いわきと東京を行き来する日々が始まる。炊き出し・物資支援の活動から始まり、いわき市小名浜地区復興支援ボランティアセンターの立ち上げ、運営に携わる。2011年4月、地元の仲間と「福島県いわき市地域活性プロジェクトMUSUBU」を立ち上げ、人、地域、音楽、アートなどを結び、”ワクワク”を生み出す。また、フリーランスでエンターテインメント及び企業の広報・PR行う。2015年夏に渡米、現在ニューヨーク在住。遠くから出来る地元貢献の形を模索中。

http://www.musubu.me/
https://www.facebook.com/MUSUBU

 

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