仮設住宅ぐらしを元気にする知恵 〜仮であれ楽しい我が家へ〜

photo : 宇宙大使☆スター/写真ケータリングプロジェクト「ハイ、ピーーース!」より

photo : 宇宙大使☆スター/写真ケータリングプロジェクト「ハイ、ピーーース!」より

*この記事は「わわ新聞1号(2011.9発行)」に掲載されたものです。紙面記事はこちら

 

「仮設のトリセツ」とは

 今回の東日本大震災に対応して、応急仮設住宅が五万二千戸建てられている。七月十五日の段階で三万五千戸の供給が完了していたという結果は大きな努力だというべきだ。今回の震災では、建設方法にもいろいろな手段が用いられ、以前の災害のときのような、ほぼ同一の「プレハブ」だけではない、木造やログハウスなど様々な仕様の応急仮設住宅が見受けられ話題にもなっている。
 しかし、建設が終われば、それで一段落なのだろうか。
 建設初期の四月に「仮設のトリセツ」http://kasetsukaizou.
jimdo.com/ というウェブサイトがインターネットに公開された。「トリセツ」とは「取扱説明書」の略であり、これは新潟大学の岩佐明彦准教授と研究室の学生が、二〇〇四年の中越地震の際に調査をした、応急仮設住宅の住まい方研究をもとにまとめられた、「仮設住宅を元気に生活する工夫」を実例として集めたものである。その岩佐准教授に仮設ぐらしの考え方を聞いた。
「私は新潟大学で建築を教えているのですが、中越地震のときに建てられた応急仮設住宅地を研究としていろいろ調べました。また現地の方々への支援として仮設住宅地に一日カフェを立ち上げ、いろいろとお話を伺うなどの活動をしていたのです。そこで見た中で現地の方々が自分たちで仮設ぐらしを元気に工夫しているのを見たのです。研究室で生活のお手伝いをしながらその事例を集めていきました。
この四月、学生が『自分たちも何かしたい』とそのときの事例を紹介することを提案してきました。研究を社会に還元することは大切だと考えてこの『仮設のトリセツ』というインターネットのサイトが始まったのです」
 公開された「仮設のトリセツ」は、八月半ばでアクセス数二十三万件、このサイトからダウンロードされた印刷用データは七百件に上る。

いいのか悪いのか仮設の改修

 紹介されている中越地震のときの改修事例はどのような経緯で実現しているのだろうか。そもそも仮設住宅に勝手に手を入れていいのだろうか。
「中越の仮設避難に際して考えたのは仮設住宅はこの一回のために建てられたものなのであり、この後に入る人がいないのだからいまを使いやすくしていいはずだと。一方現場では、借りたものは『原状復旧』しなければならない『はず』ということで釘一本打てないと思っておられる人もいた。実際にはそれぞれに理屈があります。結論としては、災害救助法という法律上の規定で基本二年間の使用についての記述はあっても、原状復旧というのは条文にはありません」
 応急仮設住宅は救助活動の一環として提供されるものであり言ってみれば医療品や食料と同じような位置づけである。したがって入居に際して一応の契約(誓約)などを交わすにしても、それは一般的な賃貸契約とは異なる。基本的にあくまでも運用する行政側との相談による。
「当時の行政の方にインタビューしてわかってきた問題は改修よりも、むしろ退去時に増えてしまった物の処理のルールが明快でなかった点です。生活の中で物が増えるのは仕方がないので、退去時の処分ルールがはっきりすれば行政側の許容ハードルは下がるという印象を持っています」
先に述べたようにいろいろな仕様のある仮設住宅だが、それぞれの与えられた性能の中で我慢して暮らすのではなく、むしろそれぞれの暮らし方と使いこなしによって自分が納得する生活を育ててほしいと考えると、最後の退去を前提としたルール内でカスタマイズ(改善)を許容するほうが建設的だろう。また居住者側でもそういった利用の相談を行政と行っていくためには、個人で動くよりも自治的なコミュニティをつくり、そこで集められた意見を提案するとよりいろいろな可能性がひろがるのではないだろうか。居住者と行政との間に連絡や相談の場をつくり、顔の見えるコミュニケーションが行われることが望ましい。

いつかは終わる「仮設住宅の生活」

 その仮設住宅のくらしの先にあるのは何だろうか。
「仮設住宅は通常二年間ないし三年間という期間の利用ですが、通常の人生の中では起こらない環境の変化の時間です。阪神・淡路大震災や中越地震の事例と重ねて考えると、それが『失われた二年間』にならないこと、この時間を如何に次の生活につなげていけるかを考えることが重要だと思います。それは人のつながりのようなものだったり、新しい生活の場所を考えていくことかもしれない。後で振り返ったときに『この二年間があったから今の生活がある』と思えるようになるとよいと思います。実際に中越の方々の経験を聞くと、あれこれと大変だったことと同時になつかしく振り返ることができるお話もありました。仮設住宅地でお年寄りと子供たちが普段接することのない出会い方をしたり、近隣との『助け合う』関係ができたりなど。たとえば新潟県山古志村の人などは今まで集まって住むという体験のない地域だったのですが、実際に避難所や仮設住宅で集団生活をしてみて『集まって住むのも悪くないな』と復興後の住宅では『集住すること』を選択した人がいたりしました。そういった、この後の生活の選択肢が広がるようなことを支援したいと考えています」
 いつかは「仮設住宅の生活」は終わる。そのときのために、今いる場所での時間をどのように重ねるのか。いろいろな心配、問題、障碍がある現地だが、その「終わりという始まり」に向けてできることから少しずつ始めてみることが大事だといえるだろう。そしてそこからそれぞれが新しい生き方を見つけることができるような未来を期待したい。

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 文:わわプロジェクト事務局

 

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