座談会:福島からはじまる 持続可能な地域のかたち(2015.8)

3.11後、日本国内では市民電力の活動が広がっています。これらの取り組みを知り、その可能性について考える座談会が千代田区のアートセンター・アーツ千代田3331で行われました。ここではその模様をお伝えします。

*この記事は「わわ新聞14号(2015.8発行)」に掲載されたものです。紙面記事はこちら

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豊かな土地を守り伝えるために、動く時は「いま」

 

「もう原発とは共存できない」
エネルギーを自然からいただこう

赤坂 「アーツ千代田3331」でこういったシンポが開かれることは不思議な感覚がありますが、エネルギー問題がアートの世界にとっても重要なテーマになるとは感じています。東日本大震災が起こり、福島第一原子力発電所が事故を起こしたことで、生活も生業も非常に厳しいところに追い込まれた福島に暮らす人達は、いろいろな議論をしてきました。今日のシンポジウムは、そんな中、会津から起こった極めて具体的な運動が主役です。

 民俗学者の私は、東北で「地域をつくる」というテーマを考え続けてきました。父は福島で炭焼きをしていましたが、それが循環型エネルギーを生産するということはまったく忘れていました。原発というエネルギーを巡るシステムが目の前で壊れた時、自分はこれから何をするべきか考えました。

 福島が原発事故の後も生きて行くために、「原発事故」という限りないマイナスのカードを劇的にひっくり返す方法はないか。そう考える中で「自然エネルギー」に出会い、福島がその拠点に育つことで、マイナスのカードをひっくり返すシナリオを描けないかと考えました。

 2011年7月、福島県が「もはや原発に依存し、原発と共に生きることはできない」という復興ビジョンを打ち出しました。それを受けて地元紙である福島民友、福島民報も、それまで使っていなかった「脱原発」の文字で紙面を埋め尽くしました。でも、福島全体が悲鳴を上げて「脱原発」に向けて動き出そうとしたその事実は、わずかな全国紙に小さく掲載されただけで、ほぼ黙殺されてしまいました。残念ながら、福島の政治はいま、その方向に動いていません。でも、宣言した事実は消えないし、そこから地域の人による動きが生まれました。

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佐藤 こんばんは、酒屋のおやじです。9代目の私は、7代目の爺さんからこんなことを言われました。「酒屋に欠かせない綺麗な水や美味しい米、そしてそれらと暮らしを支える美しい風土を守り、孫やその後の世代に渡していきなさい」。たしかに福島県には、山、川、湖、里山があり、山菜、薪、キノコ、鮒や鯉、ヤマメ、イワナ、鮎がとれます。田畑もあり、食料自給率が100%をはるかに超える豊かな土地であり、歴史や教育、産業、文化など、守り伝えなければいけないものがたくさんあります。

 ところが、東京電力の事故が起きた。「これで、永遠に止まった。もう、ここでは生きて行けないんじゃないか」という、ものすごい恐怖に襲われました。幸い、喜多方の放射線量は健康被害が出るほどではなかった。でも、ゼロではない。そんな状況の中、自分たちが水と食料は持っていたけれど、エネルギーのことを忘れていたことに気がつきました。

赤坂 エネルギーについて考える必要に気がついた佐藤さんや仲間と、7月20日に佐藤さんの蔵にあるホールで緊急シンポジウム「会津から福島の未来を考える」を開きました。「再生可能エネルギーをどう活用するか」をサブテーマにしたこのシンポには、約200人が集まりました。当時、多くの人は暮らしのことで精いっぱい、重い沈黙の中でのたうち回っている時でしたが、喧々諤々の議論が展開しました。

 その後、「ふくしま会議」と名付けて20~30回集まって議論し、煮詰まるたびにみんなの発言を模造紙に書き込んでいくと、一見バラバラに見える僕らの思いは「もう原発とは共存できない」という想いに支えられていることが見えてきました。それまで風力発電を進めたい人と野鳥を守ろうとする人が喧嘩できていたのは、巨大な原子力が電気を供給してくれていたからだと気付いた。エネルギーを自然から取り出すには、何らかの負荷がかかる。でも、折り合いの付け方を議論しながら学んで行くしかないのです。

 もちろん、再生可能エネルギーが正義だとは思っていません。でもきちんと活用できたら、地域の自治や自立にとって大きな手がかりになり、将来の社会をデザインする時に大きな役割を果たすテーマだと気付きました。

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会津電力の第一期事業として稼働中の雄勝太陽光発電所。会津電力は2013年8月設立。自然エネルギーを利用した発電事業及び電気・熱エネルギー供給事業を展開しており、第1期は会津地域内に1MWの雄国太陽光発電所の他、中・小規模分散型太陽光発電所を23ケ所設置。第2期として小規模発電所を更に20ケ所以上建設予定。(2015.8現在)

 

佐藤 赤坂さん達とエネルギーについて勉強し、法律、お金、コストといった要件を考える中で、国が固定価格買取制度を出したので、その制度を活用できる電力会社を興こすことになった。再生可能エネルギーは多くの場合、企業誘致型で進められますが、それでは地域にとって自治、自立にならない。だから、自分たちで会社を作ろうとしました。2013年8月に会津電力株式会社を設立しました。そこで私が社長になり、資本金300万円を5人の役員が負担し、2013年8月に会津電力株式会社を設立しました。敷地を借り、太陽光パネルを購入、設置するなどの費用のために2014年3月から9月まで市民出資を募ったところ、約1億円が集まりました。

伊藤 震災後、再生可能エネルギーの取り組みにお金を出す人が増えたことを、富山県での例で実感しています。リーマンショック後、資本主義社会で環境問題に取り組まなければいけないと強く思っていた時、飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所所長)と出会いました。富山県の早月川支流に日本初の市民出資による小水力発電(小早月発電所)を作る活動を支援しました。15億円の資金が必要で、環境省が半分を補助金で出してくれることが決まったものの、残り半分はどこの地元金融機関も一銭も融資してくれない。前例も、担保もないから、と言うのがその理由。固定価格買取制度が始まる前の2010年のことです。  関係者は残る7億5千万を自分たちで集めようとしましたが、なかなか集まらなかった。でも翌年、東日本大震災の後、1口10万円の出資者が急速に増え、予定通り集めきることができ、市民の意識が大きく変わってきたことを実感ました。

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会津電力建設の様子。喜多方市雄国山中腹、遊休地の雑木林を開拓し3740枚のパネルを設置した。
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パネルは地上2.5mの高さで設置し雪溜まりによる遮蔽を回避している。置角度は30度とし落雪をスムーズに。

 

都市と地方の関係をパラレルにし 「私たちの資源」を取り戻す

佐藤 実は太平洋戦争前、福島には民間の水力発電所がありました。明治期から開発された水力発電群の発電能力は合計で約500万キロワット。でも戦争に向かう途中で国の政策で企業統合が進み、戦後は水利権が東京電力の管轄になり、地元に返してもらえませんでした。これは原発5基分にあたる電力量ですが、たとえば2013年7月時点で福島県が使った電気量は154万キロワット。ダムの発電量の3分の1で間に合います。人口28万人の会津では30万キロワットの電力で足ります。500万キロワットを作り出せる私たちの水資源を返して下さい。

 福島県には原発10基がありますが、県内で使うだけであればこれほどの原発は必要ありません。会津の17市町村の行政予算は、合計で1千億円に満たないものです。でも、地元からの税収が少ないために自己財源が乏しく、地方自治率は市部で3割、残りの多くは国の補助金や交付金です。原発の建設、稼働にあたり福島県には30年間で、約3000億円の原発交付金が下りたと言われています。中央の恩恵で豊かになってきた部分はあるけれど、実は多くのものをとられていた。安全安心だと言っていたのに、原発は事故を起こした。安全だなんて、ウソだった。

 猪苗代湖の水も只見川の水も、元々、私たちのものだった。そろそろ返してもらってもいいんじゃないの。なぜ、我々の資源が取られっぱなしになっているのか。中央集権で日本中を一律にしてきた時代は終わったと、僕は思う。ほしければ、都市と地方の関係をパラレルにしないと。地方こそ、エネルギーの宝庫。地方のことは、地方の人間が考え、動く時期にきています。

赤坂 会津電力では、分散型の太陽光発電を始めています。第1期の昨年は、1000キロワットの雄国発電所、23ヶ所の中小規模発電所を合わせて、会津で計2540キロワットを稼働させ、東北電力に売電しました。2015年度中に計5000キロワット規模にまで拡大する予定。非常時には地域の皆さんに通信や照明等に利用してもらえるよう、非常用コンセントを備えています。小規模発電所を分散させているので、たとえ1基壊れても大きな問題にならない。原発のように大きなものは、1基壊れるとあのような悲劇的、決定的な事故になる。太陽光発電を先行していますが、来年以降は水力、バイオマスにも取り組んで行きます。

伊藤 会津の取り組みのもっと進んだ例が、ドイツにあります。30年以上前、中東の原油高がヨーロッパ全土を襲った時、シューナウ村のスラダご夫妻が再生可能エネルギーに移行しようと、長い闘いの末、発電所を買い取ったことに始まっています。自分たちで資金を集めて作った協同組合で自分たちの地域の太陽光を利用している。この地図(図B)で濃い緑の部分は100%自然エネルギーで87ヶ所、ちょっと色が薄い部分は準備地域で59ヶ所、さらに黄色いエリアもあり、合計149の地域が取り組んでいる。国全体の人口、面積の3割が自然エネルギーを民主主義的に、デモクラシーで展開しています。色が塗られた部分が点在していてまだら模様ですが、これは東京電力、関西電力のように集権的に電線を張り巡らせる事業展開ではこうはなりません。

図B:ドイツのエネルギー事情(出典:http://www.100-ee.de/)
図B:ドイツのエネルギー事情(出典:http://www.100-ee.de/)

 

 宮沢賢治の童話で「インドラの網」という話があります。帝釈天の御殿の空にはたくさんの輝く宝珠があり、それが多様につながっているという話ですが、ドイツは輝く宝珠がどんどん多様につながって、このようなカラフルな世界ができている。この自然エネルギーの割合が4割、5割になると、社会はまったく変わります。会津は、この黄色い都市になる可能性が高い。発電所を分散し、ネットワークを作ることでエネルギーも食料も自立すれば、生活も自立できる。そんな展望が持てます。

佐藤 会津電力が動き出した時、「バイオマスやりたいね」と声が出た。でもすぐに、村や町の背後にある里山が荒廃し、林業者も激減していることに気付いた。そこで、会社の母体づくりとして設置が水力よりも簡単な太陽光発電から始めたが、今後は小水力発電、森の木々を使うバイオマス利用を進めていきます。会社のロゴでは、太陽光は赤、水力は青、バイオマスは緑、地熱は黄色と、エネルギーを色分けをして示しています。原発は、黒です。この黒を増やしてはいけない。

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会津電力の理念

 

公共的株式会社だから地域でお金を回し、 雇用を生む

伊藤 富山で市民出資を募る説明会をした時に僕は、「これは現代の『講』だ」と話しました。江戸時代までは、幕府や藩による財政とは別に、庶民は自分たちでお金を回す仕組みを持っていたのです。毎月決まった日に一定のお金を、信頼できる10~20人で集め、結婚や馬を買うなど物入りの時にそれぞれが借りて返すシステム。西日本は「頼母子講」、東日本では「無尽」と呼ばれ、沖縄では琉球王朝時代から続く「模合」が今も活用されています。

 銀行や保険会社がなかった近代以前、この講はお金に関する相互扶助の一形態でした。言ってみれば、庶民金融。ところが明治に入ると政府が、「借りたものには利子をつけて払うなど債権債務管理をきっちりしなくてはいけない、講のようなお金の貸借りは無償の贈与で筋が通らない」と、地域でお金が回っていた講などの仕組みを壊していきました。日清、日露戦争が始まると政府はお金が必要になり、郵便貯金に複利5.6%という破格の金利をつけて貯蓄増強を言い出し、庶民のおカネを国に吸い上げた。その結果、地域は疲弊していきました。敗戦後はインフレが進行し、1946年には預金封鎖され、国債は単なる紙切れになり、庶民にお金は戻ってきませんでした。

 明治維新については「勝ち負け」の話で終わってしまうことが多いですが、重要なのは民主主義がきちんと根付いたかどうか。ヨーロッパでは市民革命が民主主義とセットで動いたように、日本の近代的な変革も明治維新と自由民権運動をセットで考えなければいけないと思っています。

赤坂 緊急シンポジウムの後、ある女性が「これって、自由民権運動よね」と言いました。それ以来、僕らは「新たな自由民権運動を起こそう」を共通の励ましの言葉にしています。会津電力は、「公共的株式会社」です。誰かがそこから金儲けするのではなく、そこで得たお金を地域の人の雇用や文化や芸術に回すなど地域内で循環させ、地域の自立を実現し、暮らしをデザインし直すことを理念に掲げました。そんな会津電力では関連会社を含め約20人が働く場を得るなど、地域に雇用が生まれています。企業誘致型の再エネでは、利益として本社が吸い上げるから地域の雇用は生まれません。

佐藤 会津にある17市町村に会津電力への出資を働きかけたところ、猪苗代町など4町村が出資してくれることになりました。民間会社のいいところは、信用金庫などが地元から集まったお金を、地元の事業に回すこと。我々がそのファンデーションを受けて人を雇用し、また次に継続する。つまり、お金が地域で循環するんです。これがとても素晴らしい。10年続けられれば、スマートシティに移行できます。

伊藤 「地域に根ざしたコミュニティパワー」と言われる民間によるエネルギーの取り組みで地域をめぐるお金を、私は「キラキラのお金」と言っています。リーマンショックの時は世間を「ギラギラのお金」が回っていた。明治維新以前に相互扶助していた時、地域ではお金以外のものも回していました。北海道ではシャケが豊漁だと、隣の家の軒先に1匹吊るしてあげたし、茅葺き屋根をふき替える時にはお互いに手伝うなど、モノも労働も相互に回していました。働くことや食料、水、エネルギーそしてお金をうまく回すことができて初め て、人間的な世界が広がるのです。

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信用が集めた人とお金で 「共有の原理」をふたたび

赤坂 伊藤さんが言われた講、無尽などは、今風に言うと「コモンズ」。人々が「私有」という形で分割するのではなく、みんなで土地もお金も共同利用する「協同」という相互扶助のシステムが張り巡らされ、格差がすくない社会だったということ。これからの社会をデザインするとき、過去の社会の仕組み、あり方を再評価することが必要。お金も、顔の見える関係の中で出し合い、必要とする人が使って、また戻す。そんなお金の動き方は、協同組合や地方の信用組合の原理。暮らしや生業の風景をどのようにデザインして行くか、というテーマにつながっている。

佐藤 爺さんから、「財産は三つに分けて持て」とも言われました。酒造りに必要な最低限の土地と、現金や預金の他、株など換金性のあるもの。そして、信用。小さい頃、わがまますると婆さんから「人様のことを先に考えなさい」と怒られた。自分が先、他の人はどうでもいい、なんてことは絶対にしてはいけない、と。

赤坂 喜多方は「ラーメンの町」で知られていますが、そもそも商業の町であり、「旦那衆」の文化があります。大正時代には芸術家を迎え入れてレジデンスを展開する喜多方美術倶楽部があり、佐藤さんのおじさんもセピロマ会という新しい芸術運動を起こすなど、パトロン文化が息づいています。7、8年前から起こったアートイベントでは佐藤さんが最大のパトロンとして蔵に若いアーティストを滞在させるなど、徹底的に支えました。

 そんな佐藤さんたち、旦那衆のモラルとして、人様、地域のためという意識がはっきりしているから信用が集まり、お金も集まった。これからの社会を作る時、分散型システム、コモンズという考え方は大きな手がかりになると思っています。

伊藤 私有国有という原理の前に、明治維新前は、地域に確固とした「共有」原理がありました。入会地や、里山、海もお互いのものとして共有する世界が続いていました。ところが、明治維新以降、政府によって私有と国有に分裂され、共有原理が極端に縮小された。近代資本主義の生みの親であるイギリスでは、ウインブルドンをはじめとした公園も、コモンズの意識で共有されている。個人所有が多い北欧の森林も、レクリエーション権は法律で認められていて、みんなでキャンプしたり、森林を歩くのは協同権利として認められていて日本ほど極端ではない。

 共有原理は、今風に言えば「シェアリング」。経済でも、シェアリングエコノミーという考え方が広がりつつあり、空き部屋を持つおじいさんと大学院生が一緒に暮らすなど「異世代ホームシェアリング」も広がりつつあります。このアーツ千代田3331も、廃校になった小学校をリノベーションしていますが、時代は「いまあるものをどうシェアするか」という方向に向かいつつある。この「共有の方向」は、実は若い人の感性に合っている。再生可能エネルギーについても、シェアリングの感覚でエネルギー・デモクラシーを進めるのがいいと思います。

 

成長社会から成熟社会へ。人口減少進む今こそ転換点に

赤坂 今の時代、ようやくさまざまな問題が集約され、目に見えるようになってきました。人口減少により、数十年後には日本の人口が8000万人台になり、高齢化が進み、労働人口が半分から3分の1までに減る。これまでのような成長戦略、経済成長が成り立つわけがない。こんな今だからこそ、成長から成熟へ、大きな価値観の転換をせざるをえないと考えています。

 いま会津で起こっていることは会津の中で完結するものではありません。都会で暮らす人達が会津やそれ以外の地域社会とつながることで、消費者から生産者になることもできるなど、さまざまな回路を作ることができるということです。アンシャンレジウムで利権を得ていた人達が、もう無理なのに、まだそこにしがみついて社会を大混乱に落とし込もうとしているようにしか、僕には見えない。会津電力が前を向いてやろうとしていることを、一つのモデルとしてきちんと提示することで、将来の社会のデザインはいくらでも変わって行くことができる。つまり、本当はとっても「オモシロイ時代」に差しかかっているんです。

伊藤 近代のエネルギーは石炭、石油、原子力でした。石炭時代、採掘して都市に運ぶため鉄道と電信が必要になり、そのために大規模な中央集権的システムの会社が生まれ、それが石油、原子力で強固に拡大ました。いずれも反生態学的でした。しかし二十一世紀に現れた、再生可能エネルギーとインターネットは生態学的で、新しい分散ネットワーク型社会の基盤を作り出しつつあります。それは個人同士が水平に顔の見える関係を作れ、上手に使えれば時代を変革するデモクラティックな武器になります。今の若い人には「脱所有感覚」がある。モノに固執せず、人が横につながることが大事だと考える感覚を生かし、かつての講のように、江戸時代の地域や文化や暮らしの多様性をインターネットと再エネで取り戻すことができると思います。実際、脱所有感覚から動き出した都会型の再生可能エネルギーの取り組みも始まっていて、都内23区や武蔵野市、埼玉、神奈川などでも屋根にソーラーパネルを設置するなど、「市民電力」の動き(わわ新聞vol.14_P12〜13)も始まっています。

 生産者と消費者が分裂していた時代は、お金がないと何も買えなかった。でも、インターネットなどを通して地方とのネットワークが作れれば、だれでも生産者になり、働いて生活必需品やアートを作ります。「お金だけに頼って生きなくてもいいよね」という安心感にもつながる。そういう新しくしなやかな価値を作る方向に舵を切ることで、成熟した社会に向かうことができます。

佐藤 人口が減り、高齢化が進んでいるのだから、もう一度、具合のいいサイズの地域づくりができる時期でもある。東京にいて再生可能エネルギーの活動に加わることが難しい場合は、「使う」という側面を見直してみては。例えば、近所やマンションなど100世帯で協同組合を作り、みんなで2割節電したら、月2万円の電気代として毎月200万、1年に2400万円浮きます。その浮いた1割をみんなで作った会社や組合の貯蓄に回し、残り1割はどこか地方の再生可能エネルギーに投資すればいい。個人には返さないんですよ(笑)。ムダに電気を使わないことで効率のいい社会を目指してはどうでしょう。そんなふうに生産と消費の関係が築ければ、日本のかたちがもう一度、有機的に深まると思う。 赤坂 新しい形での都市と農村の循環の有機的な構造をデザインし直す時代に来ています。福島は、人類がこれから背負わなくてはならない問いを背負わされてしまいました。でも、手足を縛られたような状態で、どう生きて行くか、考える中で「豊かな暮らし」のイメージが立ち上がってきています。その状況が若いアーティストたちに刺激を与えていることも事実。様々な交流、実験が福島で起こっているいま、福島こそが「始まりの土地」になると思っています。

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【固定価格買取制度】 再生可能エネルギーで発電した電力を、国が定める一定期間、電気事業者が買い取ることを義務づける制度。

【インドラの網】 インドの勇猛な神「帝釈天」の宮殿にかけられた、巨大な球状の網のこと。その結び目には美しい水晶の宝珠が縫い込まれ、全体が宇宙そのものを表現しているとされる。

【セピロマ会】 喜多方美術倶楽部の志を引き継ぎ、彫刻家・佐藤恒三を中心に喜多方の美術愛好家によって1946年に発足した美術団体。「セピロマ」とは、セザンヌ、ピカソ、ロダン、マティスの頭文字を冠している。

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<ゲストプロフィール>

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伊藤 宏一(いとう・こういち)

千葉商科大学人間社会学部教授。NPO法人日本FP協会専務理事、日本FP学会理事、金融経済教育推進会議委員、一般社団法人全国ご当地エネルギー協会監事。持続可能な成長のための共有経済(シェアリング・エコノミー)の推進を提言し、会津電力(株)をはじめ、再生可能エネルギー事業を行う全国各地の市民電力会社のサポートをしている。

佐藤 彌右衛門(さとう・やうえもん)
会津・喜多方の地で江戸時代より続く合資会社『大和川酒造店』の九代目社長。2011年3月の福島第一原子力発電所事故をきっかけに、原発に頼らないエネルギーの地産地消をめざし、地元の自然エネルギーを利用するべく一般社団法人『会津自然エネルギー機構』を立ち上げ、理事に就任。一般社団法人 全国ご当地エネルギー協会 代表幹事。

 

赤坂 憲雄(あかさか・のりお)

学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。昨年発足した『ふくしま会議』、ウェブサイト『ふくしまの声』の運営にも携わる。主著に『東北学/忘れられた東北』『柳田國男を読む』など。震災以降の東北を訪ね歩いたフィールドワークの記録は『3・11から考える「この国のかたち」東北学を再建する』で読むことができる。

 

わわ新聞vol.15「エネルギーデモクラシー」特集紙面はこちらからご覧ください。

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今月の読み物

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