10年かかっても必ずもとの姿に戻す
祭りの復活が復興の証
町の人たちにとって特別な『山田祭り』
山田湾を一望できる高台にある山田八幡宮と、海から150mほどの場所にあった大杉神社。このふたつの神社からなる『山田祭り』は町内最大のお祭り。祭りの初日は、山田八幡宮を出た神輿が大杉神社に参詣をしたあと町内を練り歩き、東北を代表する郷土芸能『山田境田虎舞』や『八幡鹿舞』が奉納される。翌日は、大杉神社を出たあばれ神輿が海を渡り、漁船が大漁旗を掲げて大漁を祈願する。故郷を離れた人々が、お盆ではなく『山田祭り』が開催される9月に帰省するということからも、山田町で生まれ・育った人にとってこの祭りが特別であることが伺える。
「とにかく子どものときから、体の中に”お祭り好き”のDNAが入っているんですよ。だから大人になっても、子どもみたいに(祭りの)1ヵ月前になると血が騒ぐ。お盆をすぎると、あちこちから聴こえるお囃子がさらに加速させるんですよ」
しかし、3.11ーー。津波と火災により、山田町の8割は壊滅。大杉神社も鳥居ひとつを残し、神輿もろとも流されてしまった。
「地震が起きたあと、山田八幡宮、大杉神社の様子を見に行きました。鳥居などが倒れていないかを確認して、もうひとつ、町内のいちばん奥にある関口神社に到着した頃、津波が来ました。そして、その津波によって町内2ヵ所から火の手があがりました。瓦礫が散乱して水道も出なかったため、消化もできず、2日間ぐらいずっと燃えていたんです。高台にある山田八幡宮のふもとまで、火の海でしたが、何もできませんでした……。2日後に自衛隊が空から消火活動をしてくれて、ようやく鎮火しました」
失ったものは神社や神輿だけではない。今年も『山田祭り』を楽しみにしていたであろう多くの町民の命も奪われた。しかし、佐藤さんは”まだこの先に失われていくもの”があるという。
「避難所や仮設住宅にいる人たちのストレスもかなり溜まっていますし、先日、関口地区にある関口不動尊のお祭りをやりました。すると、子どもたちが最高に楽しそうでね。子どもが楽しい顔をしていれば、親もおじいちゃんやおばあちゃんも楽しくなるんですよ。その姿を見て神輿がなければ、ないなりの(祭りの)やり方があると思いました。さらに言えば、1年でも祭りを休むと郷土芸能が途絶える可能性があります。子どもたちに引き継いでいくべき郷土芸能が1年でも途絶えると、消滅する可能性も出てきます。祭りをやらない地方で郷土芸能がなくなっているのは、そういう原因もあると思います」
故郷を忘れてほしくない。山田に帰ってきてほしい
今年の秋には、例年とはかたちを変えた”もうひとつの”『山田祭り』が山田八幡宮で予定されている。その目的は、郷土芸能を絶やさないため、町の人々に楽しんでもらうため、そして1日もはやく山田町を復興させるためでもある。
「『山田祭り』を本来の姿でいつ行えるかは、予想もつきません。5〜6年でできれば良いほうで、最長で10年ぐらいかかるかもしれません。たくさんの方が亡くなられていますので、当分は町内に神輿を出すのも少し考えものだと……。とにかく町並がある程度できてこないと、難しいと考えています。でも、1日でもはやく祭りを復活させて、県外や内陸に避難した人に戻ってきてもらいたいんです」
町並が整い、大杉神社が再び造営され、神輿が治され、郷土芸能の道具ひとつひとつが揃い、またお盆をすぎるとお囃子が聴こえるようになる……。それが、お祭りの町・山田町にとっての”復興の証”だ。『山田祭り』を受け継いでいくのは、もちろん山田町の人々。現在、町外へ避難している2000〜3000人余りの町民に向け、佐藤さんはメッセージを贈る。
「山田を離れて避難をされているみなさん。祭りがもとの姿に戻ったら、ぜひ山田のことを忘れないで戻ってきてください。こちらの地震が心配なくなって、住宅などを建てられる状態になりましたら、もとの通り山田に帰ってきて家を建ててください。故郷を忘れてほしくない。これが私の気持ちです」
山田八幡宮に保管されている津波に流されてしまった大杉神社の神輿たち。また再び山田町の人々に担がれる日を静かに待っている。
(取材日:2011年7月11日 岩手県下閉伊郡山田町にて)
Photo : Takeshi HOSOKAWA