いわて連携復興センター

活動地域:岩手県釜石市

インタビュー:鹿野順一(かのじゅんいち)/いわて連携復興センター

被災した地域やコミュニティが自らの意志で復興し、“つながり・にぎわい・ふれあい”を取り戻すため、震災後の4月28日に設立。地域住民による地域再生を目的としており、支援・助成情報の発信はもちろん、コミュニティビジネスを立ち上げるために必要な情報を提供。また、地域の商店街が事業を再開するために必要な資金やアイディアを得るため、支援団体との“つなぎ手”の役割りも担う。今後は岩手だけでなく、宮城や福島などで活動する団体との連携も予定している。

応援が必要なときも、生活も観光も楽しめる町になったときも
僕らのことを忘れずに見守っていてほしい

まちづくりの活動をしていた僕らにこそ
やるべきことがある

地方の商店街に見られるシャッター街化の問題。ここ釜石にある商店街も例外ではなく、和菓子店を営む鹿野さんは7年前、商店街を含む釜石の町をもり立てていこうと『特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンター』を設立。まだまだNPOの役割が浸透していなかった商店街で、イベント開催、情報誌の発行など、外に向かって情報発信をはじめつつあった。そして、”この町をもっと楽しくしたい”と、コミュニティビジネスを広めるためのセミナーを開催中に、あの地震と津波がこの町を襲った。
「5mを越える津波なんて想定外で。建物が倒れて町がつぶれていくのを見たときは映画のなかにいたようでした。正直、今も現実のなかにいるのかどうか、わかっていません」

そんななか、鹿野さんは4月28日、中間支援組織となる県内NPO法人メンバーたちと”地域住民による地域再生”を目指す『いわて連携復興センター』を立ち上げる。
「僕たちも家がなくなり、町も悲惨な状態で、避難生活をしていました。そこへ、いろんな方が被災地に手伝いに来てくれました。そこで”これまでまちづくりの活動をしていた僕らは、何もしなくていいのだろうか?”と考え、”やれることをやろう”ということで活動をはじめました」

県内で活動するNPO団体は、自分たちの活動エリア以外のことを把握するのは難しい。しかし、活動エリアの外には、もう一度商売を再開して町に活気を取り戻すために必要な資金・ノウハウ・アイデアのヒントがあるかもしれない。『いわて連携復興センター』は、再生を目指す町の人たちと支援団体を”つなぐ”役割を担っている。そしてもうひとつ、”忘れられないように情報を発信する”ことも重要な役割だ。
「僕たちは、被災地の”今”を外に伝えていこうと思っています。”これだけ復興したんだよ”ということも含め、忘れられないようにね。”様子を見にきたい・何かしたい”と、この被災地に縁のある方からも連絡をいただいています。でも、生活や仕事、それぞれの事情で来られない。僕は、そういう人たちのことを”心の被災者”と呼んでいます。そういった人には、もう少しだけ待っていてほしい。これから町に魅力を取り戻そうとしたときに、必ず”これを助けてほしい”という声があがってきます。応援が必要なときは、僕たちから必ず声をあげます。なので、僕たちのことを忘れずに見守っていてください」

この町に携わる人の数だけ
望みがある

さまざまな支援団体と。再起を誓う町の人たちの手によって釜石の町は動きはじめた。”こうなってほしいという望みは、この町に携わる人の数だけ持ってほしい”と語る鹿野さん。そこで、本人にその”望み”を尋ねた。
「大変な津波だったけど、僕は海をキライにはなっていないし、これからも海の魅力をいかせる町にしたいと思っています。ただ、もう人が死なない町にしたい。またきっとこういう災害は来ます。そのときに、自然の力を人間が防ぐのは無理なんです。逃げさえすれば、その方法さえ確立されていれば、人は死なずにすむ。その上で、安心して観光にも来てもらいたいし、生活も楽しめる町にしたい。そして、なにかあったときは絶対にひとりも死なない町にしたいなと思います」

釜石駅から海沿いに続く商店街に人が行き交い、町に活気を戻すには、やはり商店の復活が必要不可欠だが、厨房、調理器具、什器など、商店再開には多くの資材が必要となる。そうした現実のなかで、いちばん必要とされているものとは?
「僕たちの商店街には、洋服屋さん・写真屋さん・床屋さん・お肉屋さんなどいろんな業種があります。そんな人たちが今いちばん必要としているのは産業復興のための支援物資です。同業者の方ならわかっていただけると思いますが、専門の仕事をするための道具は結構負担が大きい。同業者だからわかる”これがないと大変だろう”という道具の支援が必要とされています。もし、そういう道具があったり、”何かできます”という声がありましたら、僕のほうに声をかけてください」

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釜石市にある「いわて連携復興センター」のオフィス。町の人たちと支援団体を繋いでいく。

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津波により、堤防に乗り上げた大型タンカー。震災から7ヵ月後の2011年10月に撤去された。

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がれきと化した民家の前に集められていた写真。鹿野さんたちは、これからの町を記録していく活動『復興カメラ』を始めている。

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3月11日まで、さまざまな業種の店舗が軒を連ねていた商店街。ここにふたたび活気を取り戻すために「いわて連携復興センター」は活動を続ける。

(取材日:2011年7月10日 岩手県釜石市にて)
Photo : Takeshi HOSOKAWA

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