NPO吉里吉里国 復活の薪

活動地域:岩手県大槌町吉里吉里

インタビュー:芳賀正彦(はがまさひこ)/NPO吉里吉里国

『復活の薪』とは、町の3分の2が瓦礫と化した岩手県大槌町の吉里吉里(きりきり)で、瓦礫から薪をつくり販売するプロジェクト。その売上は『吉里吉里銭ンコ』という吉里吉里の町で使える商品券となり、作業に汗を流した人々に還元される。営業を再開したお店はいまだ少ないが、町の中でお金がまわるように考えられたシステムである。漁業をはじめ多くの町民が職を失った海の町、吉里吉里。貴重な収入源となるプロジェクトを10年後、20年後も持続させていくために林業を教える学校をつくる。そして瓦礫が撤去されたあとは吉里吉里の山に入り、間伐整理によって木材や薪を販売する予定。健康な山と海を取り戻す新しいまちづくりを始めている。

犠牲者に恥ずかしくないような生き方を
怖いものは何もない

プロジェクトのはじまりは、避難所での焚火

釜石市の北に位置する大槌町吉里吉里。あの日、ここも高さ約20mの大津波に襲われ、町のおよそ3分の2が瓦礫と化した。吉里吉里の住人・芳賀正彦さんは、地震直後に”とんでもない津波が来る”と直感し、家族とともに高台の避難所に避難したと言う。

「津波の日から役場とも一切連絡が取れませんでした。避難所に集まった人たちは、津波の翌日から動きはじめた。あるグループは残っている重機を操って道路を確保し、並行して行方不明者の捜索をしていました。他のグループは中学校の下にあったグラウンドの瓦礫を撤去して救助用のヘリポートをつくったり、灯油やガソリンを確保するためにガソリンスタンドの地下タンクから石油燃料をくみ上げていました。”私たちでなんとかしなければ”みんながそう思い、大きな仕事ができたんです。私たちは当たり前のことをやりました。”まちづくり”というのは、こうした動きからはじまると思います」

芳賀さんは現在、瓦礫から薪をつくり、販売する『吉里吉里国復活の薪』プロジェクトを行っている。『復活の薪』とは、長年住宅の建材として使用されてきたスギやアカマツを瓦礫の中から選び、手作業で釘や金具を取り除き、薪割りしたものを米袋に詰めたもの。”避難所での焚火”が、このプロジェクトの出発点だった。

「私たちは避難所で瓦礫から薪を集めて焚火にしていました。震災から1ヵ月した頃、避難所にお風呂の施設が届けられました。そのお風呂が廃材を利用する薪ボイラーだったんです。自分たちで瓦礫の中に入って廃材を薪にしていると、関西から来られたボランティアの方に、”この薪、売ったらどうですか?”と言われたんです。瓦礫は薪にならなければ、ゴミと一緒になってしまう。泥がついていても、割ってみれば無垢の木と同じなんですよ。私たちがあの日、焚火に当たって癒されたように、”遠くの人の心にも暖かい火を灯せたら”とはじめました」

薪づくりのメンバーは、全員が避難所生活を経験した約15名。『復活の薪』の売上はすべて作業に汗を流した人々に還元されるのだが、その方法も町を活性化させる仕掛けがある。

「売上は『吉里吉里銭ンコ』という名前の商品券になります。この町ではまだ3、4軒のお店しか再開していませんが、商品券を受け取った人はそれを使えるこの町で買い物をします。わずかなお金かもしれませんが、吉里吉里の町でお金がまわればいいなと考えています」

職場がなければ、俺がつくる

全国から注文が殺到している『復活の薪』だが、瓦礫の撤去は着実に進んでおり、廃材が手に入らなくなるのも時間の問題。そんな中、芳賀さんの頭にはもっと大きなプロジェクトが描かれていた。

「すでに私たちは吉里吉里に広がる手つかずの人工林に入って、山の間伐整理をはじめています。間伐した木は、建築用材として売れるものを丸太市場に売り、細いものや曲がったものは『復活の薪 第2弾』として10年、20年、30年ずっと続けていきます。ここは海の町ですが、漁業が復活するまでは早くても3年かかると言われています。その3年間、専業漁業を営む人たちの収入はありません。だから漁師にチェーンソーを握ってもらうんです。家もなくして、瓦礫の町になっても、俺はやっぱり吉里吉里に住みたい。職場がなかったら、俺がつくる」

間伐整理をして木材を売ると、年間50万円の収入が見込めると芳賀さんは言う。漁業が復活しても、海がしけたときや冬場を利用して行えば、副業として十分な収入が得られるのだ。

「心と同時に、お金も大事なんです。今、『吉里吉里国林業大学校』という名前で1年かけて間伐整備ができるように後輩たちを仕込んでいこうと考えています。漁師たちにもぜひ入ってもらいたい。海で自由に船を操って、山に入ればチェーンソーも扱える。パソコン教室もやるつもりですから、漁師がパソコンを自在に扱うようになる。いいでしょう?ここではみんなが『吉里吉里国林業大学校』の教授であり、学長であり、学生でもある。全部平等なんです」

海があり、山があり、そこで働く人たちがいて、町になる。3.11に津波ですべてのものを失った吉里吉里の町では、4ヵ月が経った今、新しい”町”が生まれつつある。

「避難所で焚火を囲みながらみんなで話していたんです。津波で身内を亡くして、親戚を亡くして、尊い友人たちを亡くした……。犠牲者の姿も見た、顔も見た。犠牲者に恥ずかしくないような生き方をしていこうと、みんな心に決めています。被災者としていちばん大事なことは、俺たち被災者が自立するために”今何をやっているのか・今日まで何をやってきたのか・明日から何をやろうとしているのか”だと思います。そうした中から、”まちづくり”というものがあとからついてくる。挫折を味わったときは、山に入って間伐して、癒されて、また立ち直ればいい。何回も何回も挫折を味わいながら、都会の人に負けない、世界に負けないような人材をつくっていけばいいじゃないですか。この吉里吉里でね」

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瓦礫の山から集めてきた廃材。長年使用されていた建材は、完全乾燥しているため、一時的に海水に浸かっても数回雨に打たれると塩分が抜ける。

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1 袋(10kg)500円で販売されている『復活の薪』。現在では全国から注文が殺到して2 ヵ月待ちの状態に。

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『復活の薪』がつくられている作業場には、今も薪ボイラーを使用したお風呂があり、避難所生活者はもちろん、瓦礫撤去の作業をする人たちも入浴のため毎日訪れる。

(取材日:2011年7月11日 岩手県大槌町吉里吉里 にて)
Photo : Takeshi HOSOKAWA

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