自分たちが考える 事前復興のまちづくり

*この記事は「わわ新聞8号(2013.3発行)」に掲載されたものです。紙面記事はこちら

「事前復興(じぜんふっこう)」という言葉は、阪神・淡路大震災以降の防災計画づくりの中で生まれてきた考え方です。平時に災害が起きたらどう復興するかを考え、準備しておくことで、災害以降の復興をスムーズに進めていくというものです。それは、復興のまちづくりでも、平時のまちづくりでも、大切な考え方なのです。

 

事前復興の考え方 〜まちを愛することが一番の防災まちづくり〜

中林一樹(明治大学危機管理研究センター特任教授)

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史上繰り返されてきた災害からの復興

 日本の災害についての研究の第一人者であり都市防災の専門家でもある中林一樹先生にお話を伺った。
災害を受け、そこから復興し、社会が大きく変わるということを人類は繰り返してきました。日本でいえば、関東大震災、戦災、阪神・淡路、中越、東日本と、大きな復興都市づくりをした歴史があります。私は東京の防災都市計画に関わっていますが、実は戦災からの復興計画において、東京はほかの日本の都市に比べて計画が実行されなかった都市なのです。そのため、東京こそが「事前復興」という都市づくりを考える課題を持っているのです」

 

事前復興とはどういう考え方か

「阪神・淡路大震災の時に東京都は被害想定を行っていました。東京の直下型震災では50万棟もの消失が想定され、これは阪神・淡路大震災の5倍近い。これは同じスピードで復興させるには、復興対策も事前に準備しておく必要があるというのが、事前復興を考えはじめたスタートでした。
 それまでは、国の防災基本計画も、自治体の地域防災計画も『大きく被災したら、計画的に復興します』としか書いていなかった。『起きてから考えたらよい』ということでした」
「木造密集市街地では防災まちづくりを進めてきましてが、なかなか被害は減りません。ひとたび大震災になると大被害です。火災が発生したらまちをどう復興するのかを、被害想定に基づいて、普段から住民、行政、専門家で考えておくのが事前復興です
 現在、いくつかの地域で、「事前復興まちづくり訓練」が進められている。
「東京都は世界ではじめて1997年に『都市復興マニュアル』を策定しました。これは都市の復興をどのように進めるかの段取りを決めたマニュアルです。しかし、復興に必要なものは段取りより、目標像の合意です。そこで、2001年に『震災復興グランドデザイン』を策定し公表、「震災復興検討会議」が災害後すぐに立ち上げられるよう、すでの今から組織されています。区部では、葛飾区が2007年に都市計画マスタープランの改定で『震災復興まちづくり方針』を入れています。また住民と一緒に『復興まちづくり訓練』を行って、マニュアルと条例も作りました。

 

関東大震災の経験から
東日本大震災を考える
「関東大震災のころは、出生率が6.0。当日のお母さんは子供を6人産み、うちの5人は都会へ流入するという人口増加の時代でした。復興院のトップである後藤新平が考えたのは、人口が増加して国が近代化する時代の復興として可能な限り計画的に大きく都市をつくることでした。しかし、人口減少時代での復興では、都市空間(ハードウェア)の復興を先に考えることが難しい。東日本大震災はそういう時代です。むしろ、地域社会(ソフトウェア)に合わせた過不足ない都市空間をどう復興するかという課題です。この2年間の復興の難しさはそこにありました」
 本当にどんなまち、村に復興するのか、きめ細かく議論していく必要があるのだ。

 また復興過程では働く場所の復興、被災者の仕事の問題もあるのだ。
「東日本大震災では、仕事のために地域を離れていく人が多い。しかも子育て世代の若い家庭が。今になって考えると、『着実な復興』の前に『迅速な復興』を考えていく必要があったかもしれない。住宅=住むところと、仕事=働くところの確保です。それで、被災者が戻ってくる」

「現在の防災集団移転は3年間で事業を終わらせる制度になっているのですが、高台への移転を、20年、30年先を目標に、事前に、より安全で魅力を増す事前復興のまちづくりとして地域の人たちと考え、実践していくべきです

 

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