福島の大地に若者が集い、土とともに生きる社会を創りだす

里山の風景が広がる故郷・二本松市東和地区で、農業体験をはじめ地域振興のコーディネートに取り組む菅野瑞穂さんは、弱冠26歳の起業家。原発から50キロのこの地で、福島の農業の正しい現状といのちの恵を発信している。彼女が掲げる新しい農業の未来とはどんなものだろうか?

*この記事は「わわ新聞13号(2014.11)」に掲載されたものです。紙面記事はこちら

菅野

土を耕すことで 農業は復興へ向かう

「親の農業を見てきたからこそ、生産だけにとらわれない農業をしたいと思いました。地域と都市の架け橋になって人を呼びこむような」。小さい頃から地域循環型の有機農業に取り組んできた父を手伝い、その姿を見てきた瑞穂さん。大学卒業後、故郷に戻り父のもとで就農、その1年後、震災、そして原発事故が起きた。

 東和地区は原発から50kmの位置にあり、車でも10分も行くと避難地区だ。風向きや地形のおかげで避難は免れたものも、大地は汚染され、暮らしは一変した。当時5万人が県外に避難し、東和の農作物も売上を落とす中、それでも瑞穂さんはここにとどまる覚悟を決めた。

 瑞穂さんたち東和地区の農家は、震災後一丸となり放射能に向き合っている。農作物は、国指定のさらに半分の規準値を設け、すべて出荷前に検査、米は全袋を検査する徹底ぶりだ。それでも消費者は震災の半分に減ってしまった。だが震災後の顔の見える交流によって、新たな繋がりや関係が生まれていることも確かだ。

 東和地区では土地の実態調査にもすぐに取り組んだ。そして農家と研究者が共同で検証を続けた結果、深く土を耕すことで表面の放射線量がかなり下がること、土の中の有機物と放射性物質がくっつきあい作物に移行しないことが分かった。これは福島の農業復興への大きな一歩である。一方、放射性物質が移りやすいきのこや山菜類はいまだ数値が高く、今後は山の汚染をどうするかが課題である。

 

農業がもつ 夢と可能性

 混乱と努力の日々。そんな中、国が募集する起業家育成プログラムの話を耳にした。それは、「お手伝いになりがちだったことに葛藤していた」という彼女にとっての好機でもあった。そして2013年3月「きぼうのたねカンパニー」を設立。主軸である農業体験には、全国から月に約100人が訪れる。今後はこのグリーンツーリズムを基に、地域全体が活性化する新しい仕組みをつくって行きたいと考えている。

 「震災を機に人と人が支えあい、協力し合うことで新しいものが生み出されることを経験した」と言う彼女の夢は、福島をとりまく三重苦(低所得・高齢化・放射能)を解決する、新しい未来の農業をつくることだ。 「それぞれの環境でも、共感する仲間と一緒に、楽しいこと、自分にしかできないことを模索し続けたい」従来の農業の概念にとらわれない自由な発想が、人や価値、都市と農村を結んでいく。

 

1_菅野プロフィール

菅野瑞穂(すげの・みずほ)

1988年、福島県二本松市東和生まれ。日本東京女子大学在学中セパタクローの日本代表に。企業と学生をつなぐサークルを立ち上げるなど精力的な学生生活を送る。卒業後、実家で有機農業に従事。2013年3月「きぼうのたねカンパニー」設立。

 

文:わわプロジェクト事務局

 

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