お囃子と熱気で埋め尽くされた境内
山田八幡宮・大杉神社 復興祈願例大祭(岩手県下閉郡山田町)

2011年9月

山田八幡宮・大杉神社 復興祈願例大祭

2011年9月17日、18日に岩手県山田町にある山田八幡宮で『復興祈願例大祭』が行われた。約2ヵ月前、取材で訪れた際には静かだった境内周辺からはお囃子が聞こえ、色とりどりの半纏(はんてん)を着た人たちが行き交う。

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9月17日午前9時、山田八幡宮に到着すると夕方からの宵宮祭に向け準備が進められていた。子どもの頃から祭りに参加してきた人々が、慣れた手つきで提灯をつけ、大漁旗をたなびかせる。準備をしているなかで、山田八幡宮の空を埋め尽くす大漁旗を見て「旗はあるけどほとんどの船がなくなったんだ」と教えてくれる人もいた。津波の被害を受けた大杉神社の神輿の部品をひとつひとつ手に取り、丁寧に泥を払う人の姿も見られた。宵宮祭がはじまる頃には、バラバラになっていた神輿が見事に組み上げられ、「これは本当にすごい!」と興奮気味に写真を撮る若者もいた。山田町の人々にとって、今年のお祭りが特別なものであることがこうした瞬間からも伝わってくる。

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午後5時、八幡大神楽、山田大神楽、八幡鹿舞、関口剣舞、境田虎舞、八木節の団体がお囃子を鳴らしながら山田八幡宮にやって来た。境内はあっという間にお囃子の音と、これからはじまる祭りへの期待感で埋め尽くされた。宵宮祭がはじまると、6つの郷土芸能が順に奉納される。金髪に大きなピアスをした女の子が力いっぱい太鼓を叩いていたり、高校生ぐらいの男の子が獅子頭をつとめて見事な舞を見せたり、郷土芸能がこれだけ若い世代にしっかりと受け継がれていることにも驚く。どの郷土芸能にも小さな子どもや若者たちが楽しそうな表情で参加し、境内の隅でお囃子に合わせて太鼓を叩くマネをする子どもたちの姿も……。きっと数年後には、彼らが祭りを引っ張るリーダーとなっていくのだろう。宵宮の最後には、若者の威勢の良い掛け声が響く八木節とともに、1000発の花火が打ち上げられた。

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郷土芸能を奉納した6団体のうち、4団体は津波ですべてを失ったが、震災からわずか半年でそれぞれ準備をして『復興祈願例大祭』を迎えた。まだ建物の基礎だけが残る町並を見ていると、それが容易なことではなかったことは察しがつく。以前、「山田の町民たちは子どものときからお囃子を聞いて育っている」というお話を伺っていたが、凛とした表情で半纏を着こなし、郷土芸能を奉納する彼らの姿からは”祭りにはじまり、祭りに終わる”この町の人々の意気込みがひしひしと伝わってくる。

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山田の人たちは、本当に祭りとなると顔つきがパッと変わる。「山田の祭りはすごいべ!」「今年は神輿が出ないけど、神輿が出ればこんなもんじゃない。来年、神輿を出すから絶対見においで!!」「今年は無理だと思っていたけど、山田にはやっぱりお祭りがないとね」「”がんばれ”という言葉は好きじゃないけど、みんな努力している。来年はもっと派手にしますからよろしくお願いしますね」口を開けば誰もが誇らし気に祭りのことを語ってくれるのだ。

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大杉神社・山田八幡宮の宮司をつとめ、『復興祈願例大祭』を見守る佐藤明徳さんの表情も、2ヵ月前の取材時とは比べものにならないほどやわらかい。

「この2日間いろんな人と接して”ありがとうございます”と言われました。本当に祭りをやって良かったなと思います。ここにいる人たちを見ているとなんでしょうね、普通に祭りをやって、そこに来ているような……本当にこの人たち被災者なのかな?と思うぐらい。この様子を見ていたら”来年も祭りをやろう!”と思えて、復興が1日でもはやくなればと思います」

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例年の半分以下の人出と言いつつも、『復興祈願例大祭』には、震災後やむを得ず町を離れなければならなくなった人たちの姿も見られた。今年を機に、山田の秋祭りは新たな役割を担っていくことになる。

「最終的には、今この町からいなくなっている人を呼び戻したい。そのためには受け口が必要なんです。これまで通り祭りをやっていれば、町の外に出ていった人たちもきっと戻って来る。このままでは人口が少なくなって、町が村になってしまいます。それだけは防ぎたい」

そう語る佐藤宮司の言葉は2ヵ月前と変わらず力強い。町が本来の姿を取り戻すためには、まだまだ長い時間を必要とするが、この『復興祈願例大祭』が山田の人々にとって新たな一歩となったことは間違いない。

 

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